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五輪落選で、田園調布駅の駅員に。異色の経歴「元駅員スイマー」が再び世界へ!再起支えた上司との絆

7月27日(日)より競泳種目がスタートする「世界水泳シンガポール2025」。

日本代表は、キャプテン・池江璃花子をはじめ、パリ五輪競泳で唯一のメダリスト・松下知之、15年ぶりの日本選手権3冠を果たした鈴木聡美ら注目選手たちが出場する。

「日本のお家芸」男子平泳ぎ100m/200mに登場するのは、“元駅員”という異色の経歴を持つ深沢大和(24歳)。

テレビ朝日のスポーツ番組『GET SPORTS』では、2度の五輪落選を乗り越え、代表切符を掴むまでの奇跡のストーリーが紹介された。

◆働きながら週3でプールへ “元駅員スイマー”の歩み

2025年3月、世界水泳の代表選考を兼ねた日本選手権。深沢はパリ五輪銅メダル相当の好タイムを叩き出し、初出場となる世界水泳のメダル候補に名乗りを上げた。

会場でレースを見届けた松岡修造は、この新星を直撃。

修造:「深沢大和さん、世界水泳おめでとうございます!」

深沢:「ありがとうございます」

修造:「今、どうして敬礼したんですか?」

深沢:「なんでだろう、駅員だから(笑)」

3歳で水泳を始めた深沢。小学生の時に見たロンドン五輪で銅メダルを獲得した立石諒に憧れを抱いたという。

部屋の天井には「オリンピックで世界新記録と金メダル」と書いた紙を貼り、夢を追い続けた。

高校、大学と着実に結果を出すと、五輪を目指せるまでの選手へと成長。大学時代に綴った“水泳ノート”には、こんな言葉が記されていた。

「オレはできる、自分を信じて、やるぞ」「オリンピックに行く!」

しかし、東京五輪の代表選考会で落選。子どもの頃からの夢を諦める決断を下す。

修造:「もう諦めたわけですか?」

深沢:「諦めざるを得なかったっていうか…働かなきゃいけなかったので、1回は諦めました」

大学卒業後は、東急に就職し、田園調布駅の駅員として働く日々に。その傍ら、週3回だけプールに通っていた。

深沢:「当時ユニバーシアードっていう世界大会があって、そこで結果を出したくて泳いでいました」

修造:「会社に言えばよかったじゃないですか。『僕には大事な大会があるんですよ』って」

深沢:「でも仕事は仕事なんで。当時は仕事も頑張ってました」

世界大会に出るため、働きながら泳く。その生活は過酷を極めたという。

深沢:「24時間の交番制だったので、朝9時から次の日の9時まで働いて、そのまま寝ないで練習してというのを、週3回ぐらいやっていました」

そんな環境のなか、出場した世界大会で銅メダルを獲得すると、会社に対して“ある行動”に出る。

深沢:「オリンピックは自分の夢なので、最後の半年間だけ挑戦させてくださいって言いました」

修造:「OKもらったんですか?」

深沢:「はい。会社の理解もあって、パリまでの半年間は水泳に専念させてもらいました。働くって言って入社したのに、水泳を応援してもらえて超嬉しかったです」

勤務免除が認められ、競技に専念できることに。この時、パリ五輪代表選考会まで約半年。水泳ノートには当時の決意がこう綴られていた。

「常に自分のやるべきことをだけに集中しろ 結果は必ずついてくる! GO YAMATO!」

◆果たせなかった“オリンピックで金メダル”の夢

迎えた2024年3月、パリ五輪代表選考会。会場には多くの同僚が応援に駆けつけた。

しかし、結果はわずかに及ばず、2度目の落選。再び夢を諦めることに。

深沢:「また仕事に戻りました。つらかったですね。オリンピック選考会落ちた翌日から働いていたので」

修造:「勝てない男なんだ、そういう運命なんだって考えてしまいましたか?」

深沢:「やれること全部やったと思って臨んだから、もう無理だなって思いましたね。だからずっと泳いでなかったんですよ。パリオリンピックも悔しかったのであんまり見れなくて…」

プールを離れ、再び仕事だけの生活に。水泳がなくなったことで虚無感に襲われ、ノートにはこう書き殴った。

「何がしたいのかわからない。自分がやるべきこともよくわからない」
「自分の不甲斐なさを感じる」

それでも、ベッドの上の「オリンピックで金メダル」の紙は貼られたままだった。

深沢:「やっぱり剥がせなかったですね。あぁ行きたかったな…って思っていました」

◆「何とかしたい」上司の尽力で再びチャンスが

仕事だけの生活から3カ月、深沢に大きな転機が訪れる。

深沢:「(自分は)人事だったんですけど、部長さんがすごく応援してくれていて、人事部の中で話をまとめて、社長からOKをもらったという風に聞いています」

修造:「それは部長さんが大和さんの行動を見て、『また水泳をやりたいんだ』と感じていたということですか?」

深沢:「だと思います。いい人に巡り合えたなって思います」

なんと、再び水泳に専念できることに。会社に働きかけてくれた当時の人事部長・柏木修史さんは、当時の深沢の姿をこう振り返る。

柏木さん:「オリンピックがダメだった3月の終わりに、トイレで泣いていたんですよ。ほかの同期と喋ってるうちにいろいろ思い出したんでしょうね。あの明るい深沢くんがあそこまで涙を流して悔しがっているのを見た時に、何とかしたいなっていうのは思っていたかもしれません」

こうして再び動き出した五輪への挑戦。水泳ノートには「代表になる、必ず結果を出す」「結果を出す権利と義務がある」と、強い決意を感じさせる言葉が並ぶように。

また、3度目の挑戦ということで練習への姿勢も大きく変わり、これまで以上に厳しい練習に向き合うようになった。

深沢:「今この時間も同期は働いていて、お金をもらっていると思うので、絶対自分の仕事として結果を出さないといけないと思っています」

原動力となったのは、応援してくれる人たちへの恩返し。筋力トレーニングには、これまでの倍以上の時間を費やした。トレーニングコーチの山﨑氏もその変化を実感している。

山崎:「メンタル面はかなり変わったところ。言動や行動に表れていると思います。ものすごく変化を感じるところですね」

◆「結果を出すことで少しでも貢献したい」

そして、ついに迎えた世界水泳代表選考会。

男子200m平泳ぎ決勝。深沢は前半から攻めの泳ぎを見せた。トップで折り返し、ラスト50m。最後は渡辺一平とのデッドヒートを制し、パリ五輪銅メダルを上回る2分07秒47の好タイムで優勝。ついに世界水泳の切符を掴み取った。

レース後、恩人への感謝を伝える場面も。

深沢:「柏木さん!お疲れ様です。柏木さんのおかげです、ここまでやれたのは」

柏木さん:「ずいぶん持ち上げてくれるじゃないか(笑)。まずはシンガポールで結果出して」

深沢:「はい」

柏木さん:「いつか仕事には戻ってきてほしい。でもまず今は、深沢大和にしかできないことを」

深沢:「頑張ります!」

2度水泳を諦めた“元駅員スイマー”が、多くの支えを力に変え、10年以上書き続けた水泳ノートに力強いメッセージを綴った。

「みんなありがとう! オレ、やるよ!!」

深沢:「本当に応援してくれた会社には感謝しかないです。結果を出すことで少しでも貢献したいという気持ちは前よりも強くなったと思います」

修造:「世界水泳シンガポール、何ができると思いますか?」

深沢:「金メダル、獲れると思います。信じてるんで、自分のことを」

修造:「周りが大和さんと、大和さんの泳ぎを信じている。そんなふうに聞こえました」

深沢:「本当に周りの方に支えられてるなって思います」

修造:「電車で言うと、今は終着駅ですか?」

深沢:「今の終着点はシンガポールですけど、ちょっと線路が伸びるかもしれないです(笑)。ウルトラ特急でいきます!」

大会情報:『世界水泳 シンガポール2025
2025年7月11日(金)~8月3日(日)

競泳は7月27日(日)~8月3日(日)

テレビ朝日系列地上波、ABEMA、CSテレ朝チャンネルにて放送(放送予定詳細はこちら

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