『PJ ~航空救難団~』第6話、型破り教官が身を張って教えた「本気で人を救う」意味。ワイヤーロープより強靭な絆に胸が熱くなる
<ドラマ『PJ ~航空救難団~』第6話レビュー 文:横川良明>
令和の時代こそ、人はもっと熱くなりたがっている――。
このドラマを観ていると、気づけば胸が熱くなっている。瞼いっぱいに涙が溢れ、笑顔と共にこぼれ落ちる。
ウェットな人間関係が面倒くさがられる今の時代。Z世代からすれば上司に怒鳴られたら一瞬でシャットアウトだし、裸の付き合いなんてドン引きかもしれない。根性論なんて、とっくの昔に死語だと思う。
でも、もしかしたら今の若者の中にも、この物語に登場する訓練生たちみたいに、思い切り誰かとぶつかって、喧嘩して、顔をくしゃくしゃにして泣きながら仲直りして、自分の夢に向かって真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐに突き進んでみたいと思っている人たちがたくさんいる気がする。
令和になって7年経つけど、本当はもっといろんな人が熱くなりたくて、歯を食いしばって頑張っている自分に出会いたくて、でもなかなか本気になって打ち込めるものが見つけられなくて。だから代わりにこのドラマを観て、みんな泣いたり笑ったり、胸に青春という名の火を灯しているんじゃないだろうか。
【映像】「助けてって泣いてんだよ」大規模災害で必死の救助活動
ドラマ『PJ ~航空救難団~』は、“人命救助最後の砦”と呼ばれる航空自衛隊航空救難団の救難員――通称PJ(パラレスキュージャンパー)を目指し、過酷な訓練に臨む訓練生と、その教官による熱血青春ドラマだ。
ここまで訓練生たちは、水中訓練に海上救難訓練、さらに山岳総合実習と、さまざまな訓練を乗り越えながら、PJの使命である「人を救う」ことと向き合い続けてきた。
そして5月29日(木)に放送された第6話は、まさに「人を救うとは何か」を描いた回だった。
(※以下、第6話のネタバレを含みます)
◆助けが必要な人に、咄嗟に手を差し出せるかどうか
第5話で、訓練生の一人、藤木さやか(石井杏奈)が自ら救難員課程を辞退した。さやかも、みんなも、最後は納得し、晴れやかな別れ…だったはずが、一転、雲行きは怪しくなる。
さやかが辞めたのは教官・宇佐美誠司(内野聖陽)の指導に問題があったのではという告発が行われたのだ。教育隊長の堀越正一(宍戸開)は、宇佐美にしばらく65期の指導から外れるよう言い渡す。
内容から推察して、告発者は内部の人間。宇佐美の指導方針に異議を唱える大山順一(眞島秀和)か、あるいは別の誰かか。脳裏をよぎる疑念に、沢井仁(神尾楓珠)ら65期のムードも険悪気味だ。
いたら、暑苦しくて面倒くさい。でもいないと、やっぱり寂しい。ランニング中の謎のオリジナルソングも、トレーニング中に飛ぶ罵声も、65期の体にすっかり宇佐美のDNAが染み込んでいる。65期にとって、宇佐美はもはやなくてはならない存在なのだ。
だが、そんな宇佐美を告発したのは、65期の一人・長谷部達也(渡辺碧斗)だった。藤木を追いつめたのは、やっぱり宇佐美だったんじゃないか。仲間を思う気持ちが、歪んだ正義感となって暴走した。この宇佐美と長谷部の屋上での対峙が、今回のハイライトだ。
卑怯なやり方で宇佐美を裏切った自分を責め、長谷部は「こんな弱い人間に、人を救う資格なんてありません」と泣き叫ぶ。それに対し宇佐美は問う、「本気で人を救うって何だ?」と。
救難団は、人を救うのが仕事だ。基地内にも「救え」の看板が高々と掲げられている。意識を失うような厳しい訓練も、いつか来るその日にちゃんと人を救えるため。彼らにとって人を救うことは当たり前で、だからこそ宇佐美の問いに答えが出せない。
そんな長谷部の迷いを見越したように、宇佐美は屋上から身を投げようとする。つくづく規格外の人だ。
型破りで、まっすぐすぎて、常識では考えられないことばかりしでかす。でも、だから宇佐美から目が離せない。みんないつの間にか宇佐美のことが好きになっている。
あのとき、宇佐美は何を伝えたかったのだろう。きっと本気で人を救うということは、後先なんて考えず、身を張ってでも手を差し出すことだと教えたかったんじゃないだろうか。
屋上から落ちかけた宇佐美の手を、長谷部は飛びつくように掴んだ。沢井も近藤守(前田旺志郎)も柵を飛び越え駆けつけた。資格を気にする人なんて一人もいなかったはずだ。
救わなきゃいけない人がいるから、救う。ただそれだけ。大事なのは、そのときに咄嗟に手を差し出せる勇気を持っているか。目の前の命に、どれだけ一生懸命になれるか。だから、人を救うというのは尊いことなのだ。
宇佐美と65期を見ていると、なんだか羨ましくなる。どんな大人に出会えたかで、その人の人生は変わる。宇佐美みたいな大人に出会えた65期は、大変だけど、絶対に楽しい。こんなふうに自分と真剣に向き合ってくれる大人なんて滅多にいないから。
宇佐美はバカなところもあるけど、絶対に人を見離さない。その人の中にある、その人だけの特別なものをちゃんと見ている。だから、65期も一人また一人と殻を破って強くなれた。
自分を信じてくれる人がいること。その信頼に応えたいと思うこと。こんなにかけがえのない関係性はない。そして、回を重ねるごとにどんどんその絆は揺るぎないものになる。本気でぶつかり合うことで育んだワイヤーロープより強靭な絆が、『PJ ~航空救難団~』の一番の魅力だ。
◆命も心も救うのがPJだから、絶対に仁科は帰ってくる
同じ頃、大規模災害の現場で今まさに人を救おうとしているPJがいた。仁科蓮(濱田岳)だ。
長時間にわたる大雨により、住民は孤立。救難隊が必死の救助活動を行なっていた。そんななか、崖上の学校で倒れている男性を発見。仁科らは救助に駆けつけるが、その男性以外にも、校舎内に子どもが取り残されていることが判明する。
「助けてって泣いてんだよ。死にたくねえって泣いてんだよ。未来救わない大人がどこにいる」
退避を命じられるなか、仁科は自分の意志を押し切る形で校舎に飛び込んだ。建物内にまで流入した土砂のせいで開かなくなったドアの向こうに、泣いている児童を発見。仁科もまた必死に手を差し出す。だが、斜面崩落の瞬間はそこまで来ていて…というところで第6話は幕を閉じた。
人命救助を題材とした作品だけに、いずれ隊員か、あるいは訓練生の誰かに命の危険が訪れることは、なんとなく最初から予想はできていた。そして、第二子が生まれたあたりから、仁科にそのフラグがビンビンと立っていることにも勘付いていた。でもわかっていても、胸が苦しいものは苦しい。
だって、あんなにもうれしそうな顔をして生まれたばかりの我が子を抱いている仁科を見てきたから。仁科の帰りをいつも待っている素敵な奥さんと子どものことを知っているから。なんで無茶をするんだよと家族の代わりに怒ってやりたかった。「第一の優先は自己の安全だ」って宇佐美も言ってたじゃないか。でも、家族を思う仁科だからこそ、子どもの泣き声を聞いて見捨てることができなかったのもよくわかる。
はたして仁科は生きて帰ってこられるのか。きっと帰ってこられると信じたい。だって、もし仁科が命を落としてしまったら、仮に子どもの命は救われても、心が救われない。命も心も救うのが、PJ。だからきっと仁科は帰ってくる。
ドラマを見守るすべての人たちの願いが、次の木曜日へと託された。
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※番組情報:『PJ ~航空救難団~』
毎週木曜よる9:00~、テレビ朝日系24局