日本人初の“アジア最優秀女性シェフ”庄司夏子が目指す未来――「低いハードルで起業できる新しいロールモデルをつくる」

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『報道ステーション』では、多岐にわたる分野で時代の最先端を走る「人」を特集する企画『未来を人から』を展開している。

今回取材したのは、入手困難な“幻のケーキ”の作り手、レストラン「été(エテ)」のオーナーシェフ・庄司夏子さん(32)。

食のアカデミー賞ともいわれる「アジアのベストレストラン50」にて2020年、当時30歳の若さで、日本人女性として初めて「ベスト・パティシエ」に選出。2022年3月には日本人として初の「最優秀女性シェフ」に選ばれた、若き料理人のトップランナーだ。

「少ない資金でも必ず世界に認めてもらうことができる」と語る庄司シェフが見据える、料理業界の未来とは――。

◆“宝石のような”フルーツや野菜の価値を向上させる

14センチ四方の箱の中に咲く、マンゴーで作られたバラ。宝石のような輝きを放ち、まるで芸術作品の様。ケーキの名は「フルール・ド・エテ」。

このケーキが生み出されるレストラン「エテ」は、東京・代々木上原の商店街をぬけた先にある。予約は1日1組限定で、販売するケーキも完全予約制だ。

庄司シェフの作品には国内外に多くのファンがいる。ケーキを受け取りに来た人の中には「お姉さんの誕生日に渡します。何十万円のプレゼントより、喜ぶ顔してくれる。それが一番、嬉しいです」と喜ぶ人や、「毎月予約にトライするが、(買えるのは)年に2回くらい。今回の撮影も、本音としては微妙です。(注目度が上がり)また買えなくなりそうだなと(笑)」とさらなる人気上昇に複雑な思いを抱える人も。

そういった反響に対して、庄司シェフは「お客さまがとても大事な人に渡すので、かなり責任がある。ケーキがきれいでおいしいのは当たり前で、それ以上先を求められているので、それに応えていけるものを作っていきたいなと思います」と話す。

これまでに村上隆氏(アーティスト)や蜷川実花氏(写真家・映画監督)など、数多くの著名アーティストとのコラボを行ってきた庄司シェフ。その狙いは、「料理の価値を上げること」だと言う。

庄司シェフSNSより

「アートだったら、作品に何千万、何億円という世界があります。私たちの世界では、農家さんが1年かけて育てあげた野菜やフルーツから、我々がソースを作るのに2日間かかることもある。日数と手間をかけて丁寧に作り上げているもので、私はこれもアートだと思っています。

でも日本では、フルーツも野菜も宝石のように素晴らしいものなのに、評価が低い。その認識を変えたい」

華々しい活躍で注目を集める庄司シェフが料理に携わるきっかけは、中学校の授業だった。

「家庭科の授業でシュークリームを作って、シューが水蒸気の力でオーブンの中で一気に膨らむのを見たとき、えらく感動して家でたくさん作ったんですよ。それを周りのお友だちにプレゼントしたらすごく喜ばれて。そのとき、人にあげて喜ばれる幸せを感じました。あと、友だちから『なっちゃんはシュークリーム屋さんになった方がいい』と言われました」

調理師として必要な知識を学べる食物科のある高校に進学し、フランス料理と出会った。卒業後は、一つ星レストランなどで修行の日々を送ることに。

高校時代の庄司シェフ

「(修行した店は)世界を目指しているようなレストランだったので、自分もそれの足手まといにならないように頑張っていたんですけど、当時、私の父が体調を崩していて。今は亡くなってしまったんですけど、お見舞いに行く時間もなかったんです。

そういうことがあって、自分の母親にも同じことをしてしまうかもしれないと思って、申し訳なくなって料理人を辞めました」

料理人をやめた庄司シェフに「結婚式のケーキを作ってほしい」とお願いした友人がいた。

「ケーキを披露したときに、すごく喜ばれたんです。シュークリームの記憶じゃないですけど、料理を通して、幸せを一番得られることを再確認してしまったんです」

そして、23歳のときに自分の店を持つことを決意した。

「もう料理はしないと(店を)辞めたのに、戻ってきた。それは、自分が命をかけてやるしかないという覚悟があって当時、生命保険に入りました。絶対に失敗は許されない覚悟を、そのときに持ちました」

現在は移転したが、23歳の彼女が命をかけて作った“店”はいまも残っている。

「いまは倉庫になっています。ほかにも保管する場所はあるんですけど、やっぱりここは私の原点なので、手放せなくて」

「1日1組」のレストランを始めた理由として、“性別と年齢の壁”を挙げる。

「当時は23歳でしたが、融資の枠などで、年齢と性別が関係なかったとは正直言い切れません。狭いですが、起業した当時に借りられるスペースやお金のことを考えると、ここが精一杯でした」

この場所を、次世代の料理人たちに託すことも考えているという。

「このスペースなら、ミニマムな資金でもすぐにお店を始められるかもしれない。お店をやりたいという夢を抱いている人たちに役に立てるように」

いまではその予約の難しさから“幻”と言われるほどに店を成長させた庄司シェフだが、不安になるときもある。

「家に帰ると正直、孤独感はありますよね。お店に対して、お金に関する話をしない人は多いですが、融資をもらって返していかないといけない。融資といえど借金なので、それをちゃんと返していかないといけないのが辛かったりもします。

いまはこの世界観にお客さんもついてきてありがたいのですが、当初は不安でしかたなかったです。でもまあ、それも全部含めてエテなんで、それで生きていくので大丈夫ですけど」

◆女性の起業のハードルを下げるために

そんな庄司シェフは2021年夏、新店舗「フルール・ド・エテ」の開業に臨んだ。イスやテーブルは、最初の店で使っていたものをフルリノベーションして蘇らせた。

「新しい店舗は、一番、最初の店舗とサイズ感や内装感に寄せていて。それは自分がいつだって原点に戻れるようにしたかったからです。『大きいお店をやらないのか』と聞かれたり、話もいただいたりするのですが。

お客さんが望んでいるのは、どんどん成長して作品を生み出し続けるエテだと思うので、自分ひとりで手で囲える範囲内でしか発展までさせないし、させたくもない。それがお客さまとの約束です」

作品を作り続ける小さなレストランの若きシェフに、世界から大きな注目が集まっている。

食のアカデミー賞ともいわれる「アジアのベストレストラン50」にて2020年、日本人女性として初めて「ベスト・パティシエ」に選出。

さらに2021年にはレストランのランキングで83位に入賞した。ケーキだけではなく、レストランとしての実力を評価されたことに対して、「アジア女性ベストシェフという賞があるんですけど、それを5年以内には取っていきたい」と目標を語っていた。

そして、2022年3月29日。その言葉通り、日本人で初めてアジア女性ベストシェフを獲得した。

さらに同日発表されたレストランのランキングでは、42位と大きく順位を上げた。日本人女性シェフのレストランがトップ50に入ったのも初めてと、ふたつの快挙を成し遂げたのだ。

「女性が活躍するには、まだまだタフな業界なので。私のように、こういう表彰式にもっと女性が増えるといいなと思いました。その道筋が作れたらいいなと思います」と授賞式後のインタビューで語った。

数々の賞を手にする庄司シェフに、多くのメディアが注目している。

「よく『受賞してどうですか』って質問をされるんですけど、その賞を取ることによって、エテの庄司夏子の説明文が増えるんですよね。私がここまでアワードやランキングにこだわる理由はそこにあります。賞や“日本人女性初”って称号を取ることで、私のような人間が注目してもらえたら、未来は広がるんじゃないかと思っています」

そんな庄司シェフが見据える、料理業界の未来とは――。

「低いハードルで起業できるスタイルや新しいロールモデルを自分が確立して、それを伝えていけば、女性の起業のハードルはすごく下がると思っています。いつか、自分が生きているうちに、『女性だから』とフォーカスされることがなくなればいいなと思っているんです。

いまは少数派だと自分自身で理解して、それを利用して変えていく。そのうち、性別を書く欄を書くことがなくなったり、女性だから注目されることがなくなればいいなと思っています」

彼女が切り開く“新しい料理人の姿”は、未来のシェフたちにとっては“道標”となる。現在エテで働く女性スタッフたちも、庄司シェフの背中を見て、自身の可能性を広げるべく修行を続けている。

「この店の独特な形態に興味がありました。目標が具体的にいて、しかもその人と身近で働けると自分もこうなりたいと意識が強まります」(京都からの研修生)

「私は独立を目標にしていて、今はこの環境で学べることがたくさんあるので。シェフのように自分にしかできないことを見つけて、お世話になっているシェフに、後々は恩返しできるようになりたいです」(エテのスタッフ)

コロナ禍は、自分の目指す未来を見つめ直す機会でもあった。

「コロナでどん底を見たっていう人、命に対して向き合う時間が増えた人が、自分を含め、たくさんいると思います。それは自分の未来を見つめ直す機会になったとも思う。そのときに見えた視界って結構、すごく的を射た未来だと思うので、それを信じて。不安かもしれないですが、それを信じて。

もちろん努力は絶対にしないとダメで、生半可な気持ちでは絶対だめですけど。それに向けてひたむきに努力をすれば、必ず報われることはあると伝えていきたいです。ただし、本当に頑張んないといけないですね。何度もいうけど(笑)。それで死に物狂いで頑張れば、報われると思います」

※関連情報:『未来をここからプロジェクト

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