ただの黒一色の絵画ではなかった。黒の下に隠された幾重もの絵の具の層 アーティスト・五月女哲平が描くグラフィカルな絵画の奥深さ

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第32回の放送に登場したのは、モノトーンを基調にした絵画作品を生み出すアーティスト、五月女哲平さん。五月女さんの作品は、一見すると黒一色で描かれた無機質なデザイン画のように見えるが、下には幾重にも折り重ねられた色の層が隠れていて、そこに流れた時間をも意識させる。風景と調和しながらも、圧倒的な存在感を放つ作品の数々。空間との関係性を通して、絵画のあり方を模索し続ける五月女さんの想いとは?

◆黒く塗ることで、観る人の集中力を引き出したい

―『White, Black, Colors』という作品は、真っ黒に塗られていますね。

『White, Black, Colors』(2015)
Photo by TAKASHI FUJIKAWA

絵画って、基本的に層でできているんですね。僕はこれまでも、何層にも薄い絵の具を塗り重ねながらイメージを描いてきたんですけど、これは色を重ねて、その結果黒く見えるようにしているわけじゃなくて、まず色を重ねて、その色を消すために最後に黒を使っています。

―ではこの黒の下には色があるわけですね。

そうです。薄く、いろんな色が重なっています。この作品を展示した個展のタイトルが「犠牲の色、積層の絵画」だったんですけど、つまり自分の行為をあえて「消す」ことで、その奥を想像してもらいたいと思って名付けました。

全部つまびらかにして、はいどうぞ、ってしたくないんですね。できあがったものに対して、幅をもたせたい。わからない部分があるからこそ観る側もワクワクできるというか。黒だけの色面を描くことで、観る人の集中力を導き出したくて。見えないものを見ようとする力をどのように引き出すか、ということが、僕にとってはけっこう大事です。

僕が何かを表現するというよりは、作品自体が観賞者の能動的な姿勢を引き出すための装置になることが理想的だと思っています。

『Neither a symbol, nor a stone #1』(2014)
Photo by TAKASHI FUJIKAWA

―黒く塗ってしまう、見えないからこそ気になるというか。

もうひとつ大切にしているのが、作品の形がシェイプトキャンバス、いわゆる変形型の支持体(キャンバス)であるということです。四角いキャンバスって、あまりに絵画として絵画然としすぎるんですよ。

角度が外に張っている分、僕には拒絶しているようにも見えて。作品を別世界のもののように見せるにはすごく有用なんですが。僕はあえて四角を変形させて、外部を取り入れていこうと考えています。

―外部を取り入れる?それは作品の周りのスペースのことですか。

そうですね。『White, Black, Colors』をよく見てもらうとわかるのですが、それぞれの作品を形作っているパーツは統一された四角ではないんです。輪郭をぐぐっと内側に変形させることで、外部が入り込む余地を作るということです。外部を取り込みつつ、違和感と調和を同時に作り上げていく。難しいですけど、僕がやりたいのはそういうことなんです。

―あえて変形させているわけですね。

はい。あと、作品を遠目から見たときの冷静なまなざしと、近寄ったときの集中力も大切で。このふたつの感覚の使い分けと距離感、を自分なりに作ることが大事だと思っているし、それを端的に示すことができれば、もはやアートって言われなくてもいいかもしれないとすら思っています。

―なるほど。

最近感動したことがあって。Twitterを見ていたら、僕がはじめて装丁をやらせてもらった本の表紙が上がっていたんです。美しい装丁なんですけど、本を読み込んだせいか、表紙が色あせてボロボロになってたんですよ。それを見たときに、「あ、これ完成だな」って思ってしまったんですよね。

普段、作品を作るときは、いかに劣化させずに長期保存するかを考えて描くわけです。それは当たり前のことなんですけど、こういう風に誰かの手にわたることで、まったく違う有り様があるんだなと思って。

もっともっとフレキシブルに、限定せずにいろいろやるほうがおもしろいのかなと最近は思っています。

◆黒の下に積み重ねられた時間

―おもしろいです。ちなみに五月女さんの作品は絵の具を使っているんですよね?

はい。ただ、キャンバスではなく素材そのものの上に色をのせていくので、素材がもし木材だとしたら、絵の具が木に染み込んでいくんです。染み込ませることで層がはっきりとわかれずに、混ざり合う。常に前後の時間が調和するというか。時間をつなげているような状態が作れるんです。

―なるほど。黒の下にはそういった時間の積み重ねも隠れているんですね。
こういった黒を基調にした作品を作るようになったのはいつからなんでしょう。

2011年の東日本大震災がひとつのきっかけですね。ちょうどスタジオで個展の準備をしていたときに震災があって、作ったばかりの作品がどんどん倒れて、床に散らばってしまったんです。その光景がとてもショックで。壁にかかっていることで作品として成立していたのに、ただの“物質”に見えた。ああ、物なんだな、と再認識したというか。

―絵画というものが、これまでとはまったく違うものに見えてしまったと。

はい。それから、震災をきっかけにもうひとつ考えたことがあって。それは自分の故郷をもう一回見返そう、という思いでした。地元の風景に目を向けてみたいという気持ちが芽生えてきたんです。

―故郷について考えるきっかけになったんですね。

僕の実家は栃木県にあって、車で20分ぐらいのところに渡良瀬遊水地という場所があるんです。4県をまたぐ巨大な遊水地で、野鳥もいるし、緑豊かな観光地なんです。

―空から見るとハート型のように見える、人工の池ですね。

そうです。実はそこってもともと足尾銅山の鉱毒事件の水を浄化するために造られた遊水地なんですよね。地元の人はその背景を知っているけど、もしかしたら知らずに訪れている方もいらっしゃるかもしれない。湿地帯として非常にきれいで、眺めもよいし、動物もたくさんいる。でも、国策によって村がなくなり、遊水池化されたという歴史をもつ土地でもある。

―じゃあ池の下には村が。

眠っているんです。時間とともにさまざまな物事が覆い被さって、今が成り立っている。それはこの遊水地だけの話ではなくて、今まさに自分が座っている場所もそうで。時間の積層によって今があるということを見返すきっかけになったんです。

―黒い絵画の下に何かがある、ということで、観る人の好奇心を喚起するだけではなく、そこには時間の積み重ねも表現されているという。

そうなんです。絵画の物質性と、時間の集積について考えていくと、物が重なって何かができあがるのは、絵画の成り立ちとまったく一緒だなと思ったんです。もちろん最終的に描かれたイメージも大事ですけど、そのプロセスとか時間に向けられるまなざし、みたいなところに今すごく興味があって。

それを表現するために、必要ないものをどんどんそぎ落としていって、その作品の“構造”自体を受け取ってもらえるような作りにする必要があるなと思い、シンプルなモノトーンの作品に行きついた感じですね。

◆美術一家から受け継ぐ、時間を見つめる視点

『Three Piece_ set of 6』(2017)
Photo by TAKASHI FUJIKAWA

―おもしろいですねえ。五月女さんがこの世界に入るきっかけは何だったんでしょう。

もともと祖父と父が絵描きだったんです。家も油絵の具臭くて、玄関に上がるとオイルの香りがしてくる環境で育ったので、美術家になることを選択した気はあまりしていないです。旅行するにしても、普通の旅行ってしたことがなくて。常に絵を描くための旅行だったんですよ。

―楽しそう!

そうなんです。それが僕にとってはすごくおもしろくて、四駆に150号とか200号のかなり大きなキャンバスをのせて、車からはみ出させながら出かけるんです。たとえば東北の雪山の斜面で、雪が斜めから襲いかかってくるなかで描いたり。小さいものだと2~3時間でバーッて描くんですけど、大きいものだと2~3日ぐらいかけて描くんですね。

―なかなかない体験ですね。

そんな環境で育ったので、他の職業を考える余地もなかったし、絵を描くのがものすごく好きではなかったけど、嫌いじゃなかったので(笑)。

―やっぱり最初は風景画から入られたんですか?

いえ。高校のときはイラストが好きでした。その頃ってみんな漫画とか描くじゃないですか。僕は抽象的なイラストをマジックで大量に描いて、ファイリングして友達にあげたり、通っている美容院に飾ってもらったりしてました。美術家になりたいっていうよりは、何か絵を描ける仕事ができればいいなぐらい。

―必ずしも家族と同じ方向性になるわけではないんですね。

そうですね。でも最近、祖父の風景の作品を整理して見たら、アーカイブになっていることに気づいたんです。その当時の民家とか、景色や町並みが絵という手法で写し出されている。その絵を観ながら、過去について想像を巡らせたり、見つめたりすることで、その先を思い浮かべる。これこそが絵の役割のひとつだし、今自分がやっていることと基本的に同じじゃないかって思ったんです。

時間をどう見つめるかっていう視点の違いだけで、自分が今やっている“時間を定着させる”とか“思い起こさせる”という点では同じことなんじゃないかと。

―なるほど。同じことをしているというのは興味深いです。
それで高校卒業後に美術大学に入学したわけですね。

そうですね。でも、実は大学ではあまり絵を描いてなかったんですよ。大学に入学して、とあるきっかけから、謎の思春期みたいなものがはじまって(笑)。半年くらい美術と関係のない遊びにハマってみたり、写真を撮ってみたり、ビデオを撮ってみたり、作品ともいえないようなアイデアの粒みたいな素材をたくさん作ってました。

―そうなんですね。

その結果、絵画作品ではなかったんですけど、卒業制作では自分としては納得のいく作品ができたんです。ルームランナーの上をミニカーが2台追いかけているっていう作品なんですけど、すごくよくできてたんですよ。

ミニカーの裏に薄い磁石を付けて、ベルトの下の土台にも付けておく。ルームランナーを走らせると、その上をミニカーが走るんです。タイヤもグルグル回るし、程よい走行の揺れも表現できて、ルームランナーの表示版には走行距離と速度が表示される。これを発明したとき、大学の集大成というか、やりたかったことができたと思っちゃったんです。

やり切った感があって、逆に卒業したあと何を作ればいいのかわからなくなったんですね(笑)。とりあえず地元の高校の非常勤美術講師の仕事に就いたので、制作がなかなかうまく進まないなか、授業では絵の話ばかりするという毎日でした。

―美術の先生だったんですか。

そうです。とはいえ、今考えたら人生相談みたいなことばかりしていましたが(笑)。美術全般、デザインとかも教えるんですけど、やっぱりメインは自分がいちばんよく理解しているはずの「絵」なんですね。だから語るわけです、どうして絵が素晴らしいのかって。

そうしたら、今まで忘れていた美術の話が、自分の言葉でスラスラ出てくるんですよ。年を追うごとに話もうまくなるし、教えるために新しい知識もどんどん入ってくる。そのうちに、あれ、やっぱり絵っていいんじゃないかな、って気付きはじめたんです(笑)。

―そこからまた絵の方向に向かうんですね。

でも、何を描いていいかわからない。大学からずっと描いていれば内容が継続されているんだろうけど、僕には何もない。ゼロ地点からはじめなきゃいけないから、とりあえず自分が見た夢を描いてみたり。何かきっかけにならないかなと思って、手当たり次第というほどじゃないけど、いろいろと描きはじめたんです。

―描きたいテーマやモチーフがないからこその悩みがあったと。

◆作品は、ドアを開く取っ手のような存在

『White,Black,Blue and the others』(2015)/『Land scape』(2014)
Photo by TAKASHI FUJIKAWA

そうなんです。結局、描きたいモチーフがないとして、どうしたら絵画作品を作れるのかをベースに物事を考えるようになっていったんですよね。教育現場にいても感じることですが、絵の世界って、描きたいものがないととてもネガティブにとらえる。

描きたいものがあると豊かだと言われるけど、ないと評価されない空気がある。でも、もっと違うところから作品を生み出すことができるんじゃないかって、自分で自分を試してみたくて。

―何もないところから作品を生み出す、ということですか?

というよりも、作品を見るときって、解説を読まないこともあるし、その作家がどういう人でどういう生き方をしているかわからなくても、受け取るものがいっぱいあるわけですよね。俗に作品の自律性と呼ばれることもありますけど、作家のことを知らなくても、見えるものが間違いなくあるはずで。

―そうですね。

もちろん同時代に活躍している作家だったら、どういうものを描きたいのか興味もあるし、知りたいなと思うけど、何百年も前の絵画を見たときに、その作家がどういう意図をもって、どういうところに気をつかって描いたかなんてわからない。

剥がれ落ちているような絵画でも見入るものがあるというのは、まさしく作品の自律性だと思うんです。作家本人とは別物として、作品が存在しうるというか。だから僕も、僕自身の意図ではないまったく違う視点が生まれることに期待をしながら、作り続けてみたいんです。

―なるほど。この幾何学的な作品を見て、一体何を描いているんだろうとぜひお伺いしたかったんですけど、それを聞くこと自体が間違いだったんだなと気付かされたような…。

一応、僕としては人の形をイメージしているんです。いや、もっといろいろな、人に話せないような、話しても仕方ないようなことを考えてもいる。でも、そのことは相手に言葉で伝えても、あまり意味はないかもしれない。作品を成立させるにはもはやそこは二の次でいい。もちろん人みたいだな、というのは作品を理解するためのきっかけになるとは思うんですけど。

―鑑賞者の、何かを想起させるための装置としての人だったりするっていう。

そうですね。やっぱり、僕が描きたいのはたぶん、きっかけ、なんですね。あくまでその先に向かうための、取っ手みたいな。

―取っ手、なんだか素敵な表現ですね。

大それたことをやりたいわけじゃないんです。だって世界って豊かじゃないですか。この作品で世界を表しています、なんておこがましいことを言いたいわけじゃないんです。

開かない扉を開けるための、ちょっとした装置というか。この取っ手を使えば、扉を開けてその奥が見られるから、好きに開くなり閉じるなりそのままにするなり、いろいろやってくださいっていうぐらいの気持ちで作っています。

いい作品を見たときって、言葉にはできないけど「いい経験したな」って、経験の塊みたいなものを受け取る感覚があるんです。世界を見る目がほんの少しだけ変わってしまうような、ある種の暴力性を感じさせる作品っていうのがあるんですよ。

そういうふうになれたらいいなと思います。すごくいい天気だから見に来たのに、ちょっと気分悪くなって帰るとか(笑)。それぐらいの効果を発揮できていれば、何かをもち帰ってもらえているのかなと思うんです。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>
<撮影協力:青山目黒>

五月女哲平
アーティスト

そうとめ・てっぺい|1980年、栃木県生まれ。2005年東京造形大学美術学部絵画科卒業。 主な個展に「our time 私たちの時間」(2020)、「LISTE.アートフェア」(2019)、「犠牲の色、積層の絵画」(2017、2014、2011、2007)、「猫と土星」(2011)など。 主なグループ展に「Olaph the Oxman」(2019)、「裏声で歌へ」(2017)、「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」(2016)、「引込線2015」(2015)など多数。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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