フラフープや手鏡がダイナミックなアート作品に変身  現代美術家・鬼頭健吾が既製品から創り出す見たことのない風景

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第29回の放送に登場したのは、フラフープや手鏡などを使い、作品を生み出す現代美術家、鬼頭健吾さん。鬼頭さんは、技術の集積や鍛錬によって作品を生み出すのではなく、あえて既成品を素材として使い、その組み合わせやつながりで、見たことのない新しい風景を創造していく。その巨大なインスタレーションは観る人の感性を刺激し、社会との関係性をも意識させてくれる。原色で彩られた作品に込められた、鬼頭さんのアートへの想いにせまる。

◆日用品を選ぶ行為を、作品化する

『hanging colors』(2018) 
『treasure boat』(2018)
Photo by Shinya Kigure 写真提供:国立新美術館

―『hanging colors』は強烈な作品ですね。

「国立新美術館でアートナイトをやってほしい」というお話をいただいたので、どうしようかなと考えて作った作品です。シンプルな方法で、なおかつ一番インパクトのある方法にしたいなと。夜をメインにしたいという「アートナイト」だったので、ガラス面から色が浮き出てくるような作品をつりました。

―建築にかなり溶け込んでいて。

そうですね。僕はあの(国立新美術館の)ファサードが結構好きだったんですよね。あのガラス張りで曲面になっている黒川紀章さんの建築が。

なので作品に寄生するというか、黒川さんのあの作品を生かした形で何かやりたかったんです。もしご健在だったら「ダメ」と言われたかもしれない(笑)。

―なるほど(笑)。やっぱり鬼頭さんの作品といえば、なんといってもカラフルです。

僕は作品をつくるとき、まず色を選ぶことからはじめます。

また、僕自身もともと絵を描いてきたんですけど、絵を描くときって普通、まず絵の具を使うことを前提に色を選びますよね。僕の場合は、その「何を使うか」のところも選びたいというか。

―つまり、絵の具じゃないものを絵の具を選んで使うことと同じように使う、というような?

日用品を選ぶことが多いんですけど、その「選ぶ」という行為も作品化するということが重要かなと思っていて。さらに絵の具の場合だとそのまま使う、原色のまま使うんです。混色はしない。

『broken flowers』(2018)
Photo by Shinya Kigure 写真提供:国立新美術館

―なるほど。選ぶ行為というのは?

日常のなかで、コーヒーでも飲もうかとか、黒い服でも着ようかとか、物事を決めますよね。「決める」ということから、何かがはじまっているんじゃないかなと僕は思っていて。結局、人生というのはその積み重ねですから。その積み重ね自体を作品化できたらいいんじゃないかなと思ったんです。それで、「選ぶ」ということがそのまま表現に直結するようなものをつくりたいなと。

―たしかに人は毎日、何百という選択をしていますよね。その行為をアートとして表現する、ということですね。

そうですね。作品に現れているわけではないかもしれないけれど、僕としてはそういうふうに作っています。

―おもしろいです。『hanging colors』では布を選んだわけですね。

『hanging colors』(2018) 
Photo by Shinya Kigure 写真提供:国立新美術館

既製品の布を買ってつなげただけですが。できるだけ透過するように、光が通るように、というのは多少考えましたけど、その布の組み合わせもあまり深くも考えていないというか…。その“考えていない”という部分が僕にとってはすごく重要なんですね。

ある程度カチッとして、ここでこの長さでこういうふうで、この色の組み合わせで…とあらかじめシミュレーションできてしまうと、僕にとっては退屈な部分が出てきてしまって。

―決め過ぎないわけですね。

なんていうか、アーティストって、作品ができた瞬間がいちばん高揚感があるんですよね。その高揚感を極力高めたいから「余地」を残しておくというか。

『hanging colors』の場合は、布がガラス面にかかった瞬間がやっぱりいちばんうれしいしおもしろい。予測不可能な部分を残しておくというのが”おもしろさ”であると。一緒に作業する人は大変だと思うけど(笑)。

―色を混ぜずに原色のまま使うのには、どんな理由があるのでしょう。

色調を合わせたり、色を混ぜたり、ということは難しいことじゃないんですよ。学生時代からずっと長くやってきているから、当然できる。でも、その鍛練のうえで作品をつくる、といったことに対して疑問が湧いてきたんです。

反対に、原色をそのまま使うということには鍛錬は要らないわけで、誰にでも扱える。そうすると、はじめて何かを作っているような感覚をもっていられますよね。

―ただ、「原色だけ」という制限は足かせにもなりそうな気もします。

そうですね、ですが僕としては、自分で簡単に操作できるような状態じゃないほうが、新しいものができるんじゃないかと思うんですよね。最終的に、調和させるために絵画にラメを塗ったりもしますが、基本的には「既製品をどう組み合わせるか」と考えて制作する感じです。

◆作品までアプローチして全身で体感するのがアートのおもしろさ

―作品が空間全体を埋めている体験型の展示が多いのも、鬼頭さんの作品のおもしろいところですよね。

アートというものが音楽やほかのメディアとちょっと違うのは、実際に見て、体感できる点だと思うんです。仮にバーチャルで体感できたとしても、実際に作品を目の前で観るのとはまったく違う経験のはずで。

今は写真に撮られてSNS上で拡散し、“映え”たりってなってますけど(笑)、やっぱり実際に観たほうがよくて。それはアートの弱さであり強さだと僕は思っているんですよね。時代が変わってもずっと変わらない。

―たしかにそうですね。体感したほうが作品を理解できる気がします。

少し面倒くさいんですよね、アートって。作品までアプローチしなきゃいけないから。でも僕は好きなんですよ。家から美術館にたどり着くまでの道のりってワクワクするし、その行程がすでに作品と直結している気がしていて。どんどん違う空間に入っていくような体験というか。

―とくに鬼頭さんの作品を観に行くということは、非日常というか、別の空間に入り込むような感覚がありますね。『untitled (hula-hoop)』はフラフープが有機的に絡み合って、なんとも美しい空間を作り出しています。

『untitled (hula-hoop) 』(2017) 
Photo by Shinya Kigure 写真提供:原美術館ARC

これは、モチーフになっているのは「空間の移動」といいますか……。たとえば車で町を移動しているとき、窓の外に青い看板や赤い看板みたいに色だけが風景として見えてくることってありますよね。動くことで色が抽出されてつながって見えてくる。

そんな「連続性」がひとつの空間に表現されていて、空間のなかで鑑賞者は動くんだけど、だんだん自分がどういう場所にいるのかわからなくなったり、場所の把握をしようとするんだけど難しくなってくる、そんな空間を作りました。

―色だけが残像のように残ると。とにかく、フラフープがうわーっと並ぶ姿に圧倒されます。

でも、あの作品を観たときにすぐ「あ、フラフープだ」とは思わないと思うんです。まず見覚えのあるものがなにか違うものになっている? という違和感があって、そこから「あ、フラフープなんだ」と気づくおもしろさというか。

◆ネットワークのようにつなげていきたい

ケンジタキギャラリー東京にて開催中の個展「Space Out」 展示風景

―空間ごと作品にしていくという手法に行き着いたのには、何かきっかけがあったんでしょうか。

根本的に、なにか空間があると埋めたくなるんですよね(笑)。というか別の表現で言うと、ネットワークみたいにつくっていきたいんです。

何かがつながっていって、緩やかなオーガニックな形を描いていって、それが何か美しいもの、考えさせるようなものになっていく、というのを目指していて。

積み重ねて四角や三角を作ったり、何かを削ってきれいな形を出す、みたいなことにまったく興味がなくて。長方形とか正方形みたいに形をしっかり決めるより「何ていう形なんだろうね」ぐらいのほうがおもしろいかなと思っていますね。

作家さんによっては、角が出ている形だったり、線がピシッと引かれていたり、そっちが落ち着く人もいると思いますけど、僕はそういうものじゃないほうが。

―それはどうしてでしょう?

うーん、いい加減な人間だからかなあ(笑)。アーティストにもいろんなタイプの人がいますけど、僕は「頑張る」とか「しっかりやる」ということが嫌なんですよね。いや、別にまじめにやっているつもりですよ? でもなんていうか、きっちりしなきゃいけないのが嫌なんですよね、もちろん頑張ってるんだけど「頑張ってる!」と思いたくはないし、そう思ったこともあまりないというか。

―作品に使う既製品は何か時代性みたいなものを考えて選んでいるのでしょうか。

少し前に、友達に自分の作品のことを「現代社会を凝縮させたように見える」と言われたんです。自分としてはそんなことはまったく意識していないつもりだったんですが、僕にとって「リアリティーのある形」みたいなものは目指していて、計算せずに作っていった結果、おのずと「社会を凝縮させた」ように見えることになっているかもしれないって思ったんです。

―図らずも、時代性をうつしとっているというか。

多分、自分の理想とか、好きなもの、という感覚で作品を作っていないからでしょうね。世界ってこういうものなんだろうな、と思いながら作っている感じですね。

自分が考えている日々のこと、社会に対して思っていること、そういうものが自然とギュッと凝縮されているというか。

―なるほど。世界の存在を感じながら既製品を選び、制作すると、結果、時代性を意識することになる、っていうことですね。

今ふと思いだしたんですけど、2011年の3月15日が国立新美術館での展示の初日だったんですね。

それで、11日に搬入に入ったんですけど、買い出しに行く途中の地下鉄の中で地震に遭ったんです。そのとき僕が作っていた作品というのは、スカーフをつなげて、後ろから風を送ると生地がふわふわとたなびく作品だったんです。

『inconsistent surface』(2011)
Photo by Norihiro Ueno

―はい。

それを観た人たちから、「津波みたいに見える」って言われたんです。もちろん僕はそんなことを意図してはいないので、みなさんが直近のイメージに左右されて、そういう印象になったんだと思うんですけど。

僕としては何かを目指したりはせずに「世界はこういうものなんだろうな」と思って作っているんだけど、観る人が「世相を色濃く反映しているのかも」と、さまざまな感情を作品にのせてくれる。そういうことなのかもしれないですね。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>
<撮影協力:ケンジタキギャラリー>

鬼頭健吾
現代美術家

きとう・けんご|1977年、愛知県生まれ。名古屋芸術大学絵画科洋画コース卒業、京都市立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。1999年にアーティストによる自主運営スペース「アートスペースdot」を設立。2021年3月、ディレクションを手がけたギャラリー「MtK Contemporary Art」が京都にオープン。主な展覧会に「高松市美術館コレクション+ギホウのヒミツ」(2019)、「六本木アートナイト 2018」(2018)、「YCC Temporary 鬼頭健吾」(2017)、など。主な展覧会に「世界制作の方法」(2011)、「MOT×Bloomberg PUBLIC ‘SPACE’ PROJECT」(2007)、「六本木クロッシング2007:未来への脈動」(2007)など。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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