ホログラムが魅せるまばゆい光と異空間 画家・大庭大介が生み出す、光をまとう絵画の吸引力

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第24回の放送に登場したのは、絵画の表面に凹凸を生み出し、光と影を取り込みながら描く画家、大庭大介さん。偏光パールの絵の具で森の斜陽を表現したり、ホログラム顔料で奥行きを捉えたり…。独特な手法によって生まれる妖艶な光は、その美しさに見惚れた子どもの頃の記憶を呼び覚まし、観る人と絵画の関係を炙り出していく。大庭さんは「描く」ことをどう捉え、表現しているのか? その想いにせまった。

◆偏光パールが表現する光と影

―2009年に発表された『FOREST』というシリーズについて教えてください。森の様子が見えるようで見えないような…。

『FOREST#1』(2009) Photo by Keizo Kioku

『FOREST』を簡単に説明するとしたら“作品に光が当たると奥行きをもった森が立ち上がって、光が弱まっていくと森の奥行きが消えて、線の抽象(線=木)へ変化する。図と地を反転させることによって、3次元から2次元へ、イメージが移り変わる構造を持った作品”です。

カメラをもって青木ヶ原樹海や長野県の白樺林に取材に行って、撮ってきた写真をもとに偏光パールのアクリル絵の具を使って描きました。

実は描いているのは木そのものではないんです。木の部分は、下地の白を最後まで残し、その周りの葉っぱや地面、空、を描くことで、「木」が存在するように見せているんです。

―偏光パールというのは?

偏光パールは、「曇り空の光=蛍光灯」のような、直接光が当たっていない状態では茶色やグレーっぽいけど、絵の具に「太陽光=光」を当てると色が発色する。見る角度や光の状態で色を変化させる特殊なアクリル絵の具です。また、鏡と同じような性質をもっています。

はじめて偏光パールを使ったのは、2005年。

きっかけとして、まだ学部生だった頃。当時も京都に住んでいて、周りの寺院には金箔が使われた金屏風や金碧障壁画がたくさんあったんです。金碧障壁画は、自然光が入ると黄金に輝きが増し、夕暮れになると金箔の輝きが沈み、描かれた図の見え方が変わる。

天井の蛍光灯がない時代ですから、昼は襖から差し込む太陽の光、夜は蝋燭の光で作品を見ていたはずで、絵に対しての光の「あり方」が今と昔では違うんです。そうすると日没、日出によって、絵画上の地(金)と図(イメージ)が反転して、描かれたイメージが変わっていく。

これを現代の絵の具で表現するのに、最初は偏光しないホワイトパールを使っていたのですが、2005年頃から光によって色彩が発色する偏光パールにシフトしていきました。

◆関係によって変化し続ける絵画

『UROBOROS(woods)』(2008) Photo by Keizo Kioku
左)光源が画面正面に当たった状態 右)光源が画面上にある状態 ※ 偏光パール絵の具のみではじめて森を描いた作品『UROBOROS(woods)』は2006年に完成し、2007年の東京藝術大学大学院修了制作展で発表した。2009年からタイトルが『FOREST』に変わった。

―それで『FOREST』で使ってみたわけですね。

そうです。森というのも、まさに昼と夜で大きく表情を変えるんですよ。昼間は光が溢れて、垂直に並ぶ木々に枝が抽象的に伸びて、葉っぱや枝の隙間から光が差し込む。そこには生きていることを実感するような時間が流れていきます。

でも夜になるにつれて昼間に感じた生命の実感は消えて、徐々にブラックアウトしていく、なので、森を表現するのに、光、と、闇。つまり、光の場、光と闇の間の場、闇の場の「3つの場」を構造的にもつ偏光パールがちょうどいいなと思ったんです。

―そもそも、なぜ森を描こうと思われたんでしょうか。

まず、僕のなかにあった森のイメージは“怖い”でした。静岡の田舎で育ったから身近な存在ではあったけど、どこに繋がっているかわからない恐怖があった。同時にとても原始的な、人間が生まれた場所というような畏敬の念もあって。そういう相反する世界観がある場所を描いてみたいという思いがありました。

同時に、見る人との関係によって「セカイ」がどんどん変化していく表現にも興味があって。

―“見る人との関係”と言いますと?

作品を観るときの立ち位置ですね。作品の前を歩いたり、見る角度や場所によって、まさに森のように景色が変わって見えるというか。

そもそも絵というのは、ある思想を留める、事柄や現象を記録するメディアだと思うんです。描かれているのは、物理的に静止している状態でしかない。

でも、そこに動きや時間、多次元を生み出すことができないだろうか、と思ったんです。それはもしかしたら僕が静岡の、遠州灘の強い風で雲が流れて変わりゆく景色を見て育ったことも影響しているかもしれません(笑)。

―絵なのに、そこに動きや時間をつける、という発想はおもしろいですね。

僕の作品は金屏風や金碧障壁画に近い構造をもっているので、光と鑑賞者の関係や、立ち位置によって描かれたイメージが変化していくんです。たとえば『FOREST』シリーズは、ぐっと近寄っても、点描の集まりだけで全貌が見えてきません、それは短い筆跡をずっと重ねていくことで、絵ができあがっているからなんです。

『FOREST』は暗闇のなか、プロジェクターで森の写真をキャンバスに投射し、葉っぱや空、地面の部分に絵の具を置いていきました。だから描いている最中は、全容は見えていないんです。

この筆をもって絵の具を画面に置いていくっていう身体的な行為そのものが、根源的な“描く行為”だとも思っています。ある種、原始の人たちが洞窟のなかでたいまつを燃やしながら絵を描いていた行為に近いかもしれないですね。真っ暗な部屋のなかで、プロジェクターの光だけを頼りに反復を続けていくわけですから。

◆ホログラムのなかには空間がある

―非常におもしろいです。続いて『M』についても教えてください。まずは見た目の部分から。

『M』(2016) Photo by Nobutada Omote

こちらの作品は自作した特別な描画道具を使って、円の左右に支点を決めてふたつの半円を描いています。ふたつの半円が真ん中でぶつかっている。

『M』(2016)は、ホログラム塗料を塗ってあり、光が当たると虹色の色彩を放ちます。

半円の弧を描いた溝からは光芒が生まれ、ホログラム顔料の効果も相まって、円の中心線で虹色の色彩と光芒がぶつかり合うことで、光と作品と鑑賞者との関係によって変化し続ける幾何学模様を作り出しています。でも、僕が作品に関わっている行為はシンプルに、弧=円をふたつ描いているだけです。

―ホログラム顔料というのは?

簡単にいうと、偏光パールは、光が当たるとひとつの絵の具につき一色の発色だけだったのですが、ホログラム顔料は虹色をもっています。つまり、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と、変化する顔料です。光の角度や鑑賞者の立ち位置で色彩が変化します。

―なぜホログラム顔料を使おうと思ったんでしょう。

使いたいと思っていたのはだいぶ前、絵をはじめた頃ですね。絵の具箱を開けて、固定された、決まった色しか入っていないのがつまらなくて、一色塗るだけでいろんな色が発色したらいいのにって思ってたんです。

金屏風の憧れから金や銀の絵の具、パール、偏光パールへと、必然的なつながりがありますが、僕が小さいころ、80年代初頭に『ビックリマンシール』が大ブームになってたんです。お菓子のなかに入っている四角いシールで、今もコンビニでいろんなアニメとコラボしたものが売っていますよね。

80年代の『ビックリマン』には悪魔と天使の物語と、さまざまなキャラクターがあって、シールはキャラの属性によって、悪魔、お守り、天使、ヘッド、スーパーヘッドに分類され、それぞれのシールの素材はシールのレア度によって分けられていました。

当時、出たらハズレだった悪魔のシールは普通の色彩が使われ、お守りは透明の質感、天使は金色や銀色、ヘッドはグリッド状の2Dホログラムタイプで、スーパーヘッドは部分的に3Dホログラムなんです。太陽光が当たると色彩を変化させながら、空間が生まれ、顔がグワンと動く。あれって、僕にとって最初の絵画体験だったんじゃないかと思うんですよ。

―ビックリマンが絵画体験!

だって、ホログラムシールに価値があるなんて知らない4歳とか5歳くらいの子どもが、素敵だな、欲しいなと夢中になるんですよ?

そこには人間の根源につながる、光や色彩に対する欲求みたいなものがあるんじゃないかって。ものすごくプリミティブな、これは、金屏風を見た昔の人々も同じで、光の変化=太陽を神として崇めるような、特別な気持ちがあるような気がしたんです。

―人間が本能としてもつ、光への意識というか。

そうです。だから絵を描くようになった頃に、色彩や質感が固定化されたある種、「普通の絵の具」によって描かれた絵画が並んで展示されている展覧会に行って、悪魔のシールがひたすら並んでいるような感覚になったこともありました(笑)。

―(笑)。普通の絵の具を使うっていうことは、そういうことですもんね。

そういった子どもの頃の体験と金碧障壁画の光の移ろいから、ホログラムというものへの思いがずっとあったわけです。

さらに大人になってホログラムの魅力をあらためて捉えなおしたとき、そのなかに変化し続ける「虹色の色彩」と「空間=多次元」をもつということが大きいと思ったんです。それは新しい絵画空間の創出だなと。

『M』(2020) Photo by Nobutada Omote

かつて日本の絵師たちは、金箔を背面に貼ることで、画面に光の空間を作り、ポール・セザンヌは、多角的な視点を一枚の絵画の平面上に同居させ、特異な絵画空間を創出し、クロード・モネは、同じ場所を違う時間に何枚も描いて「時間そのもの」を表現した。つまり、絵のなかでしか存在しえない “セカイ”を創出した。それなら僕は、21世紀の新しい偏光顔料や絵の具を使って、絵画空間や時間、人間と絵画の関係の可能性を追求してみようと。

―まさか作品の構造にビックリマンが潜んでいるとは思いませんでした。

小さいときに興味をもったことって、大人になっても案外変わらないと思うんです。夜景を見て綺麗だなと思う感覚と、『聖闘士星矢』の黄金聖衣(ゴールドクロス)をみて綺麗だなと思った感覚は、実は一緒なんですよ(笑)。

―自分が綺麗だなと思う感覚に対して、素直に作品を作るというわけですね。

こう見てください、っていう気持ちはあまりないんですよね。なんというか、たまたま出会うくらいでいいというか。

僕の作品を見て、綺麗とか好きとか嫌いとか、いろんな感情をもつ人がいると思うんですけど、“セカイ”の見方ってひとつじゃないじゃないですか。いろんな人の視点や想いがあって多面的に世界は構築され、人々は、ただ現象としてそこに「ある」ように錯覚しているんだと思います。

僕の作品が、セカイは“多面的な出来事の集積の現象”であることに気づくきっかけのひとつになればいいかなと思います。

<文:飯田ネオ 撮影:You Ishii>

大庭大介
画家

おおば・だいすけ|1981年、静岡県生まれ。2005年に京都造形芸術大学美術・工芸学科洋画コースを卒業し、2007年に東京藝術大学大学院美術研究科油画研究領域修了。2012年、写真の明度と再度を11段階の色調にモザイク化、虹のスペクトラムに置き換えた『LOG』シリーズを発表。主な個展に「大庭大介 個展」(2019)、「The Light Field」(2011)、「The Light Field -光の場-」(2009)など。主なグループ展に「New Paintings from Kyoto-Kaoru Usukubo and Daisuke Ohba」(2020)、「INTERPRETATIONS,TOKYO ―17世紀絵画が誘う現代の表現」原美術館(2019)など。

 

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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