デジタルデータのエラーも作品に 写真家・小山泰介が撮る“いま”の東京の風景

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第11回の放送に登場したのは、再開発が進む東京の風景を撮影する写真家・小山泰介さん。撮影したデータをパソコン上で一旦削除し、データ復元のときに起きた偶発的なエラーを取り込みながら作品を生み出している。スクラップ&ビルドを繰り返す街を、代謝する生き物のように捉え、ビルの壁面ににじみ出る街の内面に想いを馳せる。小山さんはなぜ都市に“生”を感じ、東京を撮り続けるのか。

◆エラーが偶発的に生んだ写真

REVIVE #165

―小山さんのこの『REVIVE』という作品は、どこを写したものですか?

東京の再開発エリアやオリンピック建設予定地などの工事現場を撮ったものです。豊洲にはまだ野っぱらのときから通っていましたし、麻布台の開発予定地にも行きました。基本的に作っている場所か、壊している場所を撮っています。

―どうして工事現場を撮るんでしょうか?

東京という街を俯瞰したときに、都市自体が生き物のように生まれ変わっているように見えたんです。森では倒れた木から新しい芽が芽吹きますよね。ビルの跡地にも、また新たなビルが立ち上がっていく。その様子がまるで生き物が新陳代謝をしているみたいだなと。今まさに変容している場所を、現代的な方法で写真に撮りたいと思って作品を作っています。

―現代的な方法というのは、このピンクやコラージュなどの加工のことですか?

そうですね。ただこれは僕が加工しているということではないんです。僕は一切手を加えていなくて、全部、データ復元ソフトウェアのエラーによって生まれたものなんです。

―えっ、そうなんですか。

最初はアクシデントだったんですよ。あるとき大事な写真を消してしまって、どうにかして救出しようと専用のデータ復元ソフトを使ったんですね。そうしたら、復元できた写真のなかに一枚だけおかしな写真があって。他の写真同士が組み合わさったり、一部がピンク色になったり、どうやらソフト側のエラーで生成されたみたいで。

でもそれが、僕には単なるエラー写真じゃなく、誰かがデザインを施した作品のように見えた。偶然性をはらんで一枚の写真になっていることに気づいて、それから繰り返し作るようになりました。

―偶然から生まれたものだったんですね。実際にどんな工程で作ってらっしゃるんですか?

まず工事現場を歩いて、風景を写真に撮ります。その写真をパソコンに取り込んで、いつもどおり現像作業をして、一枚の写真として成立させる。そこまで終えた後、ハードディスクごとその写真を消してしまうんです。最後にデータ復元ソフトを使って、写真を蘇らせます。

―でも、自分の予期しないものに変化してしまうわけですよね。

そうですね。色も指定できませんし、どういう組み合わせになるかもわかりません。でも、あえて自分でコントロールできない状況を取り込むことで、より深い意味のある写真になるんじゃないかと思っていて。

とくにデジタルで写真を撮ると、どうしても“綺麗な画”が出来上がってしまいがちですが、“偶発性”が引っ掛かりのある写真に変えてくれるというか。僕には、ソフトのエラーも自然現象のように感じられるところがあるんです。

僕たちはさまざまなデジタル製品に囲まれて生活しているから、デジタル上のエラーも日常のなかに起こる自然な現象として認識しているんじゃないかなと。

そういったエラーをともなって都市の風景を一枚の作品に収めることが、スクラップ・アンド・ビルドによって形作られる東京という街とシンクロする部分もあると思います。

REVIVE #089

―無機物のなかに“自然”を感じるというのは、先ほどの都市が新陳代謝しているというお話にも通じるものがありますね。

そうですね。なんというか、「自然と都市」「アナログとデジタル」みたいに物事を二項対立で考えるのは違う気がしていて。分断しているものではなくて、その境界はじわっと滲み出していると思うんです。

ひと続きに繋がっているから、歩道やビルの壁といった人工物にフォーカスしているのに、有機物を想起させることができるんじゃないかと。

◆無機質も自然だと捉える

―ビルの壁にも自然を感じるわけですね。

そうですね、壁、つまり表面というのは常に内面の変化があらわれている場所だと思っていて、人間が日焼けしたら皮が剥けるのと同様に、ビルも雨風に晒されて劣化していく。そんな感覚があります。

―そういった景色をフィルムではなくデジタルで撮影するわけですよね。そこにはどんな感覚があるんでしょうか。

僕にとって“写真を本格的にはじめたきっかけ=デジタルカメラを買ったこと”なので、デジタルで写真を撮る、ということについては色々と考えてきました。

デジタル化によって写真の可能性はぐっと広がりましたよね。プリントをしたり、TVモニターに映し出したり、プロジェクターなどで投影したり。その様子は自然に置き換えれば、水分子が氷になったり水蒸気になったり液体になったりするのと同じだと思うんです。

デジタル化されたデータが、水のようにさまざまな形態になって色々な媒体を循環しているというか。そんな印象をもっています。

―そう考えるとたしかにデジタル写真が“自然”なもののように思えます。無機質なものを自然のように捉えるような感覚は昔からおもちだったんですか?

そうですね。小さい頃から自然と接するのが好きだったんですけど、中学とか高校くらいから「写ルンです」で壁とか錆びたトタンばっかり撮るようになって。

自然が好きなのに、虫とか植物よりアスファルトのほうが気になって、接写できるギリギリのところまで寄って撮っていました。理由は自分でもわからないんですけど、何か惹かれるものがあったんでしょうね。

◆デジカメを買った日に写真家になることを決めた

―「写真をやろう!」とはっきり意識したのはいつですか?

僕は写真を専門的に習ったことがないんです。通った学校も生物や自然について学ぶ学校で、卒業生は国立公園のレンジャーとか、環境アセスメントの会社に就職していく人も多くて。

ただ、在学中にアートとか音楽とか写真が好きな仲間たちとフリーペーパーを作っていました。僕が編集長もデザインも全部やって、写真も載せて。今じゃ信じられないですけど、2000年から5年間、毎月300部作っていたんです。(笑)。

そのフリーペーパーをキンコーズで刷ってアート系のお店に配ったりするうちに、デザイナーさんと知り合いになったりして。段々とそういうアートやデザインの世界があるなというのを肌で知って。

―でも、そのときはまだ写真家ではないわけですよね。

はい。学校を卒業したあともアルバイトをしながらフリーペーパーを作り続けていたんですが、デジタルカメラを買ったその日に写真家になろうと決めました。

日付も覚えていて、2003年の10月18日。

フィルムとなるとプリントするのにたくさんのプロセスが必要だったんですけど、写真を専門的に学んでいない僕でもデジタルだとパソコンを使えば即プリントできて扱いやすかった。

そのスピード感が、自分にとってのデジタル革命だったというか。なんでもできる!と思い込んだんですよね。

―そこから本格的に作品を作りはじめたんですね。

そうです。プリントしてZINE(個人で制作した冊子)を作って、3か月くらい経ってカフェで個展をして。2005年にひとつぼ展に入選して、そこから写真業界にちょっと足を踏み入れた感じです。

最初はコンセプトも何もなかったですけど、ひとつぼ展に入選したくらいから徐々に、自分が何を撮るべきなのか自覚するようになっていきました。

―2010年の作品『MELTING RAINBOWS』では、対象物にぐっと寄った作品が多かった印象がありました。それが『REVIVE』ではビルを遠くから撮影するようになっていて、その間にどんな心境の変化があったのかなと。

Untitled (Melting Rainbows 034), 2010

再開発現場を撮りはじめたとき、その風景が、僕が昔見ていた壁の細部と同じように変化していることに気がついて。目の前の壁も、遠くの風景も、同じように新陳代謝しているんだと思ったら、引いた画角の写真とぐっと被写体に寄った写真も同等に扱えるようになったんです。

―なるほど。連綿とつながるものがあるわけですね。

『RIVIVE』には、ビルの全体を写した写真もあれば、床や壁を写した写真もある。僕はそのどちらも等しく考えているんです。

常に新陳代謝するものとして考えればスケールは関係なくて、同じものなんじゃないかなって。

◆今の技術を使って、東京を記録する

―東京を写すという点では、小山さんは「TOKYO PHOTOGRAPHIC RESERCH」というプロジェクトも立ち上げていますよね。どういった思いがあるんでしょうか。

2014年から4年間ヨーロッパに住んでいたんです。文化庁のプロジェクトで渡欧している関係で、最初の2年間は東京に戻ることができなかったんですけど、久しぶりに帰国したときに衝撃を受けてしまって。情報量と物量と人の量がものすごくて、自分が生まれ育った東京という場所がいかに特殊だったか思い知ったというか。

それと同時に、森山大道さんや荒木経惟さんの写真が海外で人気な理由もわかりました。東京みたいな風景って、他の国にはないんですよね。

―ああ、たしかにそうかもしれません。

めまぐるしく変わる時代だからこそ、2020年代の東京を記録しておかなければいけないと思いました。

そのときに、ただ撮るだけじゃなく、今の技術とか、メディアの特性を活かしながら記録することが重要だなと。さらに自分ひとりで撮影するのではなく、より多くの視点で記録しようと。それでキュレーターの山峰潤也さんと一緒に、さまざまなジャンルのアーティストに声をかけて「TOKYO PHOTOGRAPHIC RESERCH」を発足しました。

―複数のアーティストが参加していたり、デジタルのアプローチを使ったり、すごく表現方法が多様だな、という印象を受けました。

デジタル革命によって写真は多様化しましたし、今の東京を記録するなら、それを表現のなかにはっきりと取り込みたいと思ったんです。

それでいうと、復元ソフトのエラーというのも、この時代のこの瞬間にしか起こらないエラーだと思うんです。10年後には改善されてなくなっているだろうし、あるいはまったく別のエラーが起こるようになっている可能性だってある。

なので、復元ソフトを使って都市を描き出すこと自体、都市のポートレートの一端を担っているんじゃないかなと思います。

―ちなみに、小山さんは自然を撮らないと仰っていましたが、人物も撮りませんよね? それには何か理由があるんでしょうか。

今の僕にはなんだか生っぽすぎるんですよね。人というものをドライに扱えないんです。

―いずれ撮影するときも来るんでしょうか。

自分を含む“人間”がいちばんの自然だと思っているので、究極のテーマだなとは思います。

いつかヨボヨボのおじいさんになって、自分の身体の新陳代謝を感じるようになったら撮るかもしれませんね。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

小山泰介
写真家

こやま・たいすけ|1978年生まれ。2005年に第25回ひとつぼ展に入選。文化庁新進芸術家海外研修制度によって2014年から2年間ロンドンで活動。のちアムステルダムでの制作を経て2017年に帰国。主な写真集に『RAINBOW VARIATIONS』(2015年)。主な個展に、「PHASE TRANS」(2018年)、「SENSOR_CODE」(2018年)、「WAVES AND PARTICLES」(2019年)などがある。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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