ビビッドな色づかいで生み出すCGの街並み アーティスト・藤倉麻子が創造する、見えている景色の奥にあるもの

新感覚アート番組アルスくんとテクネちゃん、第22回の放送に登場したのは、3DCGを使ってビビッドな世界を生み出すアーティスト、藤倉麻子さん。藤倉さんが創造する世界には、高速道路、水道橋、工場、街灯などがにぎやかに配置されている。その多くは私たちが普段目にするのとは違う色をしていたり、なかにはまるで生き物のように動いているものも。本来はひと続きになっている景色から景色を切り取り、藤倉さんが感覚的にとらえた色でフラットに配置されていく構造物。その見えている構造物の奥の世界にまで意識を巡らせる藤倉さんの視線の先を追った。

◆視界に映る物体は、実態のほんの一部でしかない

―藤倉さんの作品は、どういった風景を描いたものなのでしょうか。

『ハイウェイ岩』(2021)

工業製品とか、大きな構造物とか、あとは配管や道といったインフラの構造群ですね。自然とそういったものを扱うことが多いです。

―それらが自立して、動いている映像作品というわけですね。

そうですね。工場の裏で爆発してる石鹸とか、水道管から吹き出した水が自由に動き回っている状態とか。高速道路の看板がぐるぐる回っていたりもします。

―3DCGを使っているのはなぜなんでしょうか

単純に3DCGだと、モノの大きさや重さ、規模感関係なく好きに世界を作れるんです。絶対に3DCGじゃないとダメ、というわけでもないんですが、いろいろ物理を無視して広大な世界を作れるのがいいなと思って。

植物でも、生存環境を考えずに配置できる、成立条件を無視していろんなモノ同士の強引な結びつきや組み合わせをつくれるので。

―本来動くはずのないものを動かしているのが興味深いです。

こうなったらいいな、と思ってアニメーションを付けています。あとは3DCGのソフトに試しに数値を入れると、物理演算が想像を越えた動きを弾き出してくれるんです。それも拾って、コラージュをしていく感じです。

―橋からピンク色の水がダーッと流れているのもインパクトがありました。

『群生地放送』(2018)

あれは水道橋で、なかを水が通って排水しているんですね。中身のない“綺麗な汚水”っていう感じです。

―汚水だと、一般的には茶色とか濁った色の水を想像すると思うんですけど、かなりビビットなピンクですよね。

実際にそう見えているわけではないんですけど、シーンを作るときに「ピンクにしよう」ではなくて、「ピンクであるべきだ」「ピンクであるほうがこの景色が成立する」という感覚で作っているんです。「知っている」みたいな。ちょっと怖いですけど(笑)。

―「ピンクだといいなあ」というよりも、もう少し強く「ピンクしかないな」という感じでしょうか。

そうですね。個人的にインプットしてきた経験とか知識によって、色が配合されているんだと思います。そうやって着色することで、よりモノを見るときに広がりができる気がするんです。

―こういったシーンを作るのには、どんな思いがあるのでしょう。

昔から、私には視界のなかに巨大なものの一部が映っているように見えていて。たとえば道路でも、ある一部から、一部までしか捉えきれていない。

―視界に収まりきらない。

家の壁や床の下には水道管が張り巡らされていて、その管は他の家ともつながっていますよね。でも視界が捉えるのは、その一部の蛇口でしかない。

―なるほど!

それは、ある特定の、定着した時間の景色だと思うんです。

―“定着した時間の景色”?

特定の人が観た、その瞬間だけの、切り取られて独立している景色というか。実際は現実に外の世界が広がっているんですけど、そうやって独立してしまった景色がいろんなところで無数に発生している気がして。地続きの土地の関係とか、時間の流れとも無関係のところで、各地で生まれている景色が並列にあるんじゃないかと。

『水脈話』(2021)
(左から)『フェンスの裏の手配、水脈をめぐって争う2つの勢力』『側道脇集荷、危険な話し合い』『日の出帯の決着、庭石の出発』

―誰かの視界が捉えた特定の景色が、無数にあると。

たとえば、Aの景色とBの景色が、CというCGのレイヤーのなかで同時に並列しているような感じです。ブラジルと日本では、同タイミングに同じ出来事を同期させることはできない。でも架空のレイヤーがあれば、ふたつを集合させることができるんじゃないかなと。

―なるほど。たとえばブラジルの高速道路と、日本の高速道路を組み合わせるようなことでしょうか?

確実に組み合わせるというよりは、仮の土壌を用意して全部並べるようなイメージです。そうやって並べれば、つながることもできるんじゃないかと思って。

◆景色と一体化する感覚

―なぜそうしたクリエーションに惹かれるんでしょうか。

原風景的なことでいうと、郊外というか田舎みたいなところで育ったんですね。関東平野で平らな土地の上に、どんと高速道路があったり、処理施設とか工場があったり。なので、毎日毎日“何かの一部”を見ているような状況でずっと生活してきたんです。

―ずっと見ていた景色なんですね。

そうですね。高速道路には防音壁が付いていて、なかが見えない。向こうになにかあるか見えないから、そのなかを想像するんです。だって本当にあるかわからないじゃないですか。想像するしかなくて。なんとなく、平らな荒野があるんじゃないかなって。

―見えない壁の向こう側を想像して。

あるとき、それでいいんじゃないかと思いはじめたんです。全部を把握できなくても、目の前の一点に集中することで世界を理解できるんじゃないか。

地図的に地続きで理解するんじゃなくて、壁を見る、とか、柱を見る、とか、一点しか見えていなくてもいいんじゃないかって。ずっと一点を眺めていると、柱が段々浮かび上がってくる感覚があったし、自分が景色と一体化しているような瞬間が、生きてきていちばん幸せな精神状態だなって思って。

―それは、モノと一緒になる、一体化するような感覚なんでしょうか。

うーん、モノと並列になるというか。高速道路の柱は、人間とは断絶してるじゃないですか。でも、そういう「断絶」とかがなんとなく取り払われて全部が浮遊するっていう。何かを見つめていると、自分自身の存在が消えるというか。そんな感覚です。

―少しわかるような気がします。

工場地帯にある倉庫を夜に見に行くと、街灯が規則的に並んでいたりするじゃないですか。単純な形が整列しているのを見ていると、自分が消えていく感覚があって。それが幸せな状態だなと思うんです。いろいろな価値観とか、基準とか判断とかそういうものから逃れて、フラットな状態になれる気がして。

生きている土地や場所って、どうしても限定される。それで閉塞感を感じることもあると思うんですけど、一点に集中して、よりその景色を理解しようと一体化することで、もっと空間の広がりが出てくるんじゃないかと思っていて。

『水脈話』(2021)

―閉塞感があると、むしろ広い景色を見たくなる人が多いような気がするんですが、壁を見つめていたほうが何かから解放されるような感覚があるわけですね。

広い場所を見たい、という感覚も同じようにあります。でも展望台にのぼって得られる広がりを、壁一つ見ることで得られたら……って思うんです。妄想に近いかもしれないですけど、モノとか壁とか柱とかフェンスとか、その奥に広大な宇宙があったらいいなって。

◆日常の裏の世界を拡張したい

―どれくらい壁を見つめればいいんですか? 1時間くらい?

見ますね。でも変な人だと思われちゃうから、それとなく(笑)。

―(笑)。とても興味深い感覚ですね。

見えているもの以外の選択肢が増えて、精神的な広がりが拡張することは、すなわち可能性が増えることなんじゃないかなと。

「目の前で起こることをひとつのタイムラインで捉えない」「別の時間とか場所との接続を考える」「すべてが並列にある」みたいな感覚って、今けっこう増えてきている気がしてて。

たとえば他者を捉えるときに二項対立で判断する、といったような見方では、もう何かを正確に把握することができない、未来のことを予測することもできなくなってきた。そんな感覚がある気がしていて。

―“多様性”という言葉がまさにそうですよね。

そうかもしれません。他者とかモノとか、本来の価値をとっぱらったうえでとりあえず目の前にフラットに置いて見てみたくて。

漠然と所有がわからない物体とか、空き地とか、工業製品とか、そういうものを見るときには、連続から解放されるような感覚もあります。

―連続?

たとえば都市があって、そこから段々と田舎になっていくグラデーションがあると思うんです。東京と埼玉とか。ふたつは地続きで、スクロールしていくというか……。

―ここからが田舎、ここから都市とはっきり分かれているのではなく。

そうですね。街というのは、近代以降の都市計画が生み出した法則にのっとって作られていると思うんです。でも、それとはまったく別の法則があってもいいんじゃないかなって。

あのビルの裏に、500キロ離れた土地があるかもしれない。そういう想像力があったら、閉塞感とか、人付き合いの大変さとか、そういう煩わしいことから解放されることもあるんじゃないかなって。

『赤い橋の日の出地帯』(2020)

―たしかに気持ちが明るくなる気がしますね。

そこにある柱を見つめることで、後ろに広がりを感じる。そういう感覚を持てたら、そこがひとつの逃げ場になるんじゃないかと。

―藤倉さんの作品をご覧になった方に、どう感じてほしいと思いますか?

観てすぐに何かを感じるというよりも、無意識のなかにイメージが残って、あとで風景が重なったときにふと思い出してもらえたら。

街を歩いて気になる物体を見つけて、「もしかしたら動くかもしれない」とか、「別の色があるかもしれない」とか、「その裏に広大な土地があるかもしれない」ということを感じてもらえたらいいなと思います。日常の裏の世界を拡張するというか。

―なるほど、日常の裏側にも世界があると思うと、そこには可能性が広がっている気がしますね。

私の作品が、ポジティブに世界を捉えられるきっかけになったらいいなと思います。

今、庭とか楽園に興味があって、次の個展のタイトルが「Paradise for Free」っていうんです。フェンスの裏から接続できる楽園が、無数に発生しているかもしれない。視界の端にあるものから、楽園への入り口のようなものを作ることができたらいいなと思っていて。

―自分の庭を見る感覚で見るような。

私の作品って、庭を見るような気持ちでぼうっと眺めてくれる人が多いみたいなんです。それぞれのタイミングと時間配分でぼうっと観てもらって、きりのいいところでやめてもらって全然構わない。それによって、オリジナルの庭というか楽園の兆しみたいなものが、観た人自身のなかに芽生えたらいいなと思います。

<文:飯田ネオ 撮影:大森大祐>

藤倉麻子
アーティスト

ふじくら・あさこ|1992年、埼玉県生まれ。2016年東京外国語大学南・西アジア課程ペルシア語専攻卒業。2018年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。主な個展に「エマージェンシーズ!035 《群生地放送》」(2018)、グループ展に「多層世界のもうひとつのミュージアム――ハイパーICCへようこそ」(2021)、「Close to Nature, Next to Humanity」(2020)、など。LUMINE meets ART AWARD2020グランプリ受賞。港区西麻布のCALM & PUNK GALLERY で個展「Paradise for Free」を開催(3/19〜4/4)。

※番組情報:『アルスくんとテクネちゃん
毎週木曜日 深夜0時45分~50分、テレビ朝日(関東ローカル)

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