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女優・中島唱子、デビューのきっかけは「容貌の不自由な人募集」のオーディション

©テレビ朝日

「容貌の不自由な人募集します」というオーディションがきっかけで、17歳のときにドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)でデビューし、今年芸歴35周年となる中島唱子さん。29歳のときには30kgあまりのダイエットに成功し、フォト&エッセイ集『脂肪』を出版。アラーキー(荒木経惟)撮影のヌードを披露して話題を集めた。

「文化庁派遣芸術家在外研修員」としてニューヨークに留学し、2002年、ジャズミュージシャンのデイビッド・バークマンさんと結婚。ニューヨークと日本を行き来しながら女優業をこなしていたが、今年からベースを日本にして活動することに。

※ドラマ『ふぞろいの林檎たち』
山田太一原作・脚本。若者たちが家族や恋人、将来の不安にもがき苦しみながら自分たちの生き方を模索していく様を描く青春群像劇。シリーズ化され、パートIVまで制作。主演の中井貴一をはじめ、時任三郎、柳沢慎吾、石原真理子、手塚理美など若手人気俳優陣の共演も話題に。

 

◆大ファンだった柳沢慎吾さんと…

-17歳、高校生のときに『ふぞろいの林檎たち』が決まったときはどうでした?-

「普通の高校生から180度違う生活になりましたよね。プレッシャーはあったんですけど、何か誰かに選んでもらったと言うことがそれまでなかったので、そのことがうれしかったです。

何の才能もないような全く平凡な高校生だったので、誰かに見出してもらえたということがうれしくて、それに応えたいという気持ちがすごくありました」

-「容貌の不自由な人募集します」というオーディションはどんな感じでした?-

「身長の異常に高い女性、異常に太っている女性、肉体にコンプレックスのある女性を募集していたみたいなんですけど、容貌が不自由でない人もたくさん応募して来ていました。

すごく緊張しました。小部屋に6人ずつ呼ばれて、その緊張した空気のなかで、ひとりずつ2分間自己アピールをしなくちゃいけなかったんですけど、自慢できることなんて何もなくて…。

たこ焼き屋さんのアルバイトをしていたので、働いているときと同じようにたこ焼きを焼いて売っているところをやったんです。その様子を優しい顔で見守ってくれていた審査員が山田太一さんでした」

-劇中でそれと同じようなたこ焼きを売るシーンもありましたね―

「はい。何でもない高校生を抜擢してくださったというのが私の人生においてもとても大きな励みになったし、もし、あのオーディションがなかったら出てなかったと思うんですね。

何個もチャンスがあったわけじゃないと思うんです。きれいな女優さんの登竜門のような『東宝シンデレラ』と、『朝の連続テレビ小説』とか、『国民的美少女』とか、そういうのを何回か受けて引っかかるだろうというタイプじゃないわけですから。

あのオーディションがなければ世に出てこなかった。消えてしまいそうな細い線のようなチャンスでした。だから私はほんのチョコッとした、細い隙間にタイミングよくピョコッと入り込めたという感じですね」

-その後も山田太一さんとはお会いになってるんですか-

「ちょうど30周年のときに『30年の女優生活になりました』ということで、どら焼きを持って山田さんにごあいさつに行きました。こういう世界ですから浮き沈みが激しいし、そのことよりも、私が元気で幸せそうにしていることを喜んでくださったという感じですね」

-『ふぞろいの林檎たち』の出演者は、中井貴一さんをはじめ、芸能界ですでにお仕事をされている方々ばかりでしたが-

「そうですね。でも、皆さんもあの番組に対するプレッシャーを感じていましたからね。とにかく無我夢中でした」

-恋人役の柳沢慎吾さんのファンだったそうですね-

「はい。もともと大ファンだったので、恋人役になったのはものすごくうれしかったです。今も大ファンです。柳沢先生って呼んでるんですけど、ニューヨークに住んでいたときも、日本に来たときは必ず連絡していました。

何か前より話せるようになりました。若い頃は人の話を全然聞いてくれなくて、自分の話しかしないタイプだったんですけど、最近は私の話にも耳を傾けてくれるようになって。やっと落ち着いて大人になったんじゃないですかね(笑)」

-ずっと良い関係が続いているようですね-

「そうですね。2人で撮った写真を見ていると最近顔が似てきたみたいで(笑)。私が昔からファンだから、柳沢先生は『20代のときに唱子の魅力に気づいてあげなくてごめんね。次に生まれ変わったら一緒になってあげるから』なんて言っちゃって(笑)。

たぶん冗談で私を喜ばせてくれているんだと思うんですけど、そういう優しいところがとてもうれしいです。だけど、『柳沢先生ね、ルックスと声は大好きだからそのままでいいけど、性格だけは直して。神経質なところを直してくれないと一緒になれない』、そう言って2人で笑いました」

-つい最近もネットに「柳沢慎吾が愛される理由」という記事が出ていました-

「私も読みました。本人も実際に読んで、とても喜んでいました。自分が大好きだから(笑)。自分が評価されたことは、私に嫌味なく、さりげなく自慢してくるんですよね。

動画が出たときもすごいですよ。インターネットとかスマホ、テクノロジーに弱いくせに動画がアップされた時なんて『唱子見て。8分間の動画だからね。すぐ見て」って。

それで、きっかり8分後に電話がかかってきて、『どうだった?』って感想を聞いてくるんですよ。だから『あのね、柳沢先生、勘違いしてもらいたくないんだけど、私はあなたのファンではあるけれど、追っかけじゃないから』って(笑)。

今でも自分の出演した番組の放送日とか、細かく知らせてきます。これだけ私が柳沢慎吾の大ファンなのに、もっとすごいところを見せて“唸らせたい!”みたいですよ(笑)」

-何だかんだ言っても仲が良いですね-

「そうですね。デビューの『ふぞろいの林檎たち』のときからですので、10代の私を知っている家族のようなお付き合いですね。

最初、撮影が始まってからも、恥ずかしくてまともに顔を見てお話なんかできませんでした。お芝居のなかで初めて柳沢先生の顔をまじまじと見たら、本当に目がきれいで、『なんてきれいな目をしているんだろう』と感動しました。

そのきれいな瞳とチャーミングな人柄は今も変わりません。この世界で毒されず、変わらずにいられることって、すごいことだと思うんですよね。

この世界のことを何も知らない私に、本当に細やかに親切にしてくれました。彼は私だけではなく、裏方のスタッフにも出演者やエキストラさんに至るまですべての人に気を配れる人なので、彼がいる現場はいつも和やかな優しい空気に包まれます」

-柳沢さんは取材陣にも気を使ってくれますしね-

「どんな人にも分け隔てなく気配りできる優しい人なんです。だからこそ、彼は誰からも愛されて敵を作らない存在で輝いているんだと思うんですね。

最初の仕事で、そんな素晴らしい先輩と出会えることができたのは、どんな良いお仕事と出会うこと以上にとてもラッキーなことでした。その柳沢先生のチャーミングな人柄は、私の大きな目標でしたね。その目標があったから、今もまだこの世界で仕事をさせてもらえているのかなぁと思います。柳沢先生にはものすごい感謝ですね」

※中島唱子プロフィル
1966年5月7日生まれ。東京都出身。1983年『ふぞろいの林檎たち』で女優デビュー。ドラマ、映画舞台、CMに多数出演。1999年から『渡る世間は鬼ばかり』にレギュラー出演。

29歳のとき、アメリカに行くことを決意した中島さんは、1年間「文化庁派遣芸術家在外研修員」としてニューヨークに留学することに。2002年、ジャズミュージシャンと結婚。今年から日本をベースにしてこれまで以上に精力的に活動している。

©テレビ朝日

 

◆生きていく術を教えてくれたのは…

いつも笑顔で周囲をなごませてくれる中島さんだが、父の浮気が原因で幼い頃から両親のケンカが絶えず、母が家を出たという。中島さんは母の唯一の親戚筋である女性の元に預けられた後、父方の祖母と暮らすことに。それから9年間、祖母と2人で暮らした。

-いろいろご苦労されてきたと思いますが、微塵も感じさせないですね-

「そうですね。わりとそうかもしれないですね。明るいのかなあ。暗い部分もあるんですけど、両方持ってますね。私はきっと人に恵まれているんだと思います。多分それがすべてのような気がする」

-そう思えるところがすごいです-

「それは私を育ててくれたおばあちゃんの愛情のたまものですね。両親が離婚したとき、私は7歳。淋しくていつも泣いて祖母を困らせていました。そんな私に全身全霊で愛情を注いでくれて、育ててくれたんです。

高齢だから、私が大人になるまで側に居てあげられないことを不憫に思っていたのか、『いつもニコニコしていなさい。誰からも愛されるような笑顔でいなさい。』と、いつも祖母はそう私に言っていました。

それは、“誰かのなかの光に当たりたい”という依存心よりも、“自分自身が太陽になりなさい!”という自立した生き方でしたね。寂しさに潰されないで、どこに行っても1人で生きていける逞しい生き方をうちの祖母が教えてくれたんだと思うんです」

-すてきなおばあ様ですね-

「そうですね。おばあちゃんのおかげで随分、心身ともに逞しく過ごせました。そして、いい人を引き寄せてくれるその笑顔が私の最大の武器になりました。

同じ芸能界でも嫌な部分だけを見てやめていく人もいるし、こういう世界でも良いものを見て感謝して残っていく人もいる。ニューヨークでも悪い人に出会って人生堕ちていく人もいれば、いい人に出会って救われていく人もいる。

だから、どういう人と出会ってどのように過ごしてきたかが大切ですね。どんな環境でも負けない逞しい笑顔は財産ですね」

-仕事も順調に見えたので、突然のニューヨーク行きは驚きでした-

「何かちっちゃいときから、先の見えるまっすぐの道や、誰もが通る大通りを歩くよりも、いつも路地に入っちゃう癖があって、路地が好きでいつも迷っちゃう。

生き方もそんなところが凄くあって、決められた先の見えるまっすぐな道があると路地に入って寄り道しちゃう癖があります。自分探しのその寄り道が新しい何かと出会うチャンスだったりするんですね。

ラッキーなことに『ふぞろいの林檎たち』という素晴らしい作品でデビューできました。当時はデビューから10年で、仕事にも人生にも焦っていたのかもしれません。

『ふぞろいの林檎たち』のようなドラマにまた出たいと思っても、自分自身が納得する仕事に出会えない現実もわかっていた頃で、時流によっていつも自分の商品価値が変わっていくというこの世界に対しても憤りや不安を感じていました。

時代に合わせて虚像の自分を当てこもうとする違和感と嫌悪感で本当の自分が見えなくなってきていたんですよね。

知らない世界に身を置いて自分自身をリセットする環境と時間が必要でした。そんな気持ちが勇気を奮いたたせたのだと思います。30歳直前に、また路地に消えていきました。その路地に迷い込んだ先が、巨大な街『ニューヨーク』だったんです」

次回後編ではご主人との出会い、ニューヨークでの生活、柳沢慎吾さんとの爆笑エピソードを紹介。(津島令子)

※Netflixドラマ『宇宙を駆けるよだか』
全6話 配信中 海根京子役
公式HP:https://yodaka-switched.com/

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