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リオで世界に衝撃与えた車いすダンサー “限界超えたパフォーマンス”に挑戦

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回、約束場所に訪れた修造は、いきなり驚きの光景を目にし「すごい!車輪に乗った!」と思わず声をあげた。

まるでフィギュアスケートのように車輪の上でくるくる回っていたのは、車いすダンサー・かんばらけんたさんだ。

©TOKYO応援宣言

かんばらさんは2年前のリオ・パラリンピックの閉会式に登場し、世界に衝撃を与えた。

「日本の国歌が流れて、ワァーって盛り上がって地面が揺れている中、ステージに上がって行くので、そのときは凄い心が揺れましたね」(かんばらさん)

2020年に向けても、そのダンスで開会式や閉会式を盛り上げるべく活動している。

©TOKYO応援宣言

◆「歩けない」母の言葉で受け入れた障がい

かんばらさんは生まれつき、二分脊椎症という障がいを抱えている。下半身の神経が弱く、足は変形していて思うように動かせない。

幼いころから皆と同じことができず、悔しい思いをしていたかんばらさんの心を変えたのは母の言葉だった。

©TOKYO応援宣言

「小学校3年生くらいの時、母に“何で僕は歩けないんだ”と聞いたんです。リハビリをしたら治るって信じて、リハビリをしていたんですけど、実は治らないんじゃないかというのを泣きながら。そうしたら母が“リハビリしても歩けない”と。ダメなものはダメで、他のところで乗り越えていこうっていうのを、ちゃんと正直に言ってくれました。だからこそ、僕は障がいを受け入れたのかなという気はします」(かんばらさん)

©TOKYO応援宣言

この時以降、かんばらさんは“自分の体でできること”を考え、様々な事にチャレンジしていく。

そして30歳を過ぎた頃、ダンスに出会った。

かつてはコンプレックスだった足。これまでは隠して生きてきたが、今ではあえて見せることで、パフォーマンスの1つにしている。

 

◆「限界を超えたパフォーマンスをしたい」

来る2020年へ――。かんばらさんの挑戦は加速度を増している。

「車いすでは絶対出来ないだろうという限界を超えたパフォーマンスをしたいです。“できるかな”くらいのことは絶対試して、チャレンジしている気がしますね。」(かんばらさん)

©TOKYO応援宣言

提供:ヨコハマ・パラトリエンナーレ2017

かんばらさんは、“できるかな”の精神で、ボルダリングや空中パフォーマンスに挑戦。近いうちにはサーフィンをする予定で、ボードの上での逆立ちにも挑戦するそうだ。

©TOKYO応援宣言

「2020年、限界を超えたパフォーマンスで、世界中の人々の心を動かしたい!」(かんばらさん)

無限の可能性を感じさせるかんばらさんは、最後に力強く宣言した。<制作:TOKYO応援宣言>

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

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