テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
未来をここからプロジェクト
menu

鶴瓶が“不仲説”の発端!兄弟デュオ「狩人」の弟・高道が真相を語る

兄の久仁彦さんとともに兄弟デュオ「狩人」として活動し、デビュー曲の『あずさ2号』が大ヒットを記録した高道さん。数々の新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に2年連続出場。「狩人」としてだけでなく、ソロ歌手、作詞家、作曲家、ものまねタレントとしても活動。2007年に「狩人」を一度解散するが、2012年に再結成。

◆楽屋ではしょっちゅう兄弟げんか、今なら1年で解散していた?

-2012年に「狩人」を再結成。一度は解散していましたが?-
「解散というのはずっと日常茶飯事で付きまとっていましたよ。デビューしたときから常にありました。今だから言えるけど、いつでも解散できる態勢でしたよ、ぶっちゃけた話。(笑) 今の時代だったら、デビュー1年で解散していたんじゃないですか。40年前だったから解散しなくてすんだんだと思う。今はグループでも必ずソロで活躍しているじゃない、みんな。あの当時はそれがなかったんですよ。特に兄弟だから。ソロでやったら、仲が悪いとかさ、やらなくても仲が悪いって言われるわけだからさ。めんどくさいなあって思って」

-本番前に楽屋でケンカするなど、“不仲説”について色々いわれていましたね-
「仲が悪いって言われた発端は、新幹線がガラガラだったから、久仁彦さんと離れて座ったんですよ。ピッタリくっついて座っていたら気持ち悪いじゃない? それで、ちょっと離れて座っていたら、それを鶴瓶(笑福亭)さんが見ていて、テレビで言ったんだよね、それが発端。だから会う度に鶴瓶さんも『あっちとこっちで座っとったな』って言うけどね。(笑)

あとはもう楽屋ではしょっちゅうけんかしてたね、確かに。取っ組み合いっていうか、『NTV紅白歌のベストテン』は生放送なんだけど、その直前までケンカしていて、出演者たちはそれを見ているからね。でも、ケンカしたときのほうがピッタリ合うんだよ、歌が」

-なぜでしょう-
「一応、歌で悪かったなっておわびをしているわけですよ、お互いに。それは歌って感じるわけ。それはすごいなと思う。だから歌を合わす必要がないわけですよ」

-ほとんど合わせてないそうですね-
「とにかく2人で練習したことなんてないですよ。『じゃあ行くぞ』なんてまったくない。そんなのやりたくもないし、やらないけど。

弾き語りでギターとかフルートをやるときは別だけど、それは楽器があるからやるのであって、歌を練習するというのは、まずないですね。する必要もない」

-それで合うところがすごいですよね-
「まあそうですね。だから良く考えてみれば、神様がやっぱり二人で歌うべきというかさ、そういう思いだったんじゃないの?(笑)」

-お互いの才能を認めているわけですしね-
「そうですよ。僕はよく言うんだけど、女性で尊敬するのは美空ひばりさんで男は久仁彦さんだって。歌手としてですよ、もちろん。(笑)音楽的な才能は、久仁彦さんが男では一番すごいと今でも思いますよ」

-持って生まれた才能に加え、努力もされて-
「うちは貧乏だったから楽器を習ったこともないし、ギターも独学で、小さいときに新聞配達をやって自分で買ったんだよね。そういう生活を二人ともしているから、逆にそれが良かったんじゃないの? 小さいときから努力しなきゃいけないって思っていたからね。

才能というのは、小さい頃はわからなかったんだけど、この年になってみると、多かれ少なかれいただいてるんだなって思う。あと健康とノドの強さとかね。風邪をひいても声が出ないことはないし、それはありがたいですよ。親にも感謝しています」

※高道プロフィール
1960年1月21日生まれ。愛知県岡崎市出身。1977年、17歳のとき、兄・久仁彦さんと「狩人」としてデビュー。『あずさ2号』『コスモス街道』『若き旅人』『アメリカ橋』など大ヒットを記録。ものまねのレパートリーも多数。ステージではタップダンスも披露する。

江木俊夫さん、あいざき進也さん、晃さん(元・フィンガー5)とともに昭和アイドルユニット「T4(テイストフォー)」、「ヒデとロザンナ」のロザンナさんと「タカとロザンナ」を結成するなど、さまざまなチャレンジを続けている。

◆“まぼろし”になるところだった…兄弟デュオ「狩人」誕生秘話

-歌手になりたいと思ったのは、いつ頃だったんですか-
「5歳か6歳。小学校に入ったぐらい。音楽の時間に歌を歌ったら『うまい』って言われて。『うまい』って言われたら、子どもだからそれを好きになるよね。たまたまそれが僕は歌だったんですよ」

-上京したのはお兄さんの久仁彦さんが先ですね-
「そうです。まず一番違うところは、久仁彦さんは誰にも言わずに、コッソリ歌手になるために出て行くんですよ。もし、歌手になれなかったら恥ずかしいから。僕は違う。別にそんなこと考えてないから。『僕は歌手になる』って言って、東京に出て行くわけですよ。典型的な例としては、それぐらい性格が違うんですよ」

-お兄さんが歌手になるために上京したことは、いつ知ったのですか-
「久仁彦さんは高校2年で中退して、まず名古屋に行って、修行じゃないけど、キャバレーでバンドボーイみたいなことをまずやったんですよ。でも、名古屋じゃ無理だということに気付いて上京したわけ。僕はそのとき中学3年生だから、卒業して、別に久仁彦さんを追うように行ったわけではないんだけど、たまたまそうなったの。5人兄弟がいて、一番上の兄がもう東京に住んでたんで、一応その兄を頼って上京したんですよ」

-それで上京して、歌のレッスンは別々に?-
「そうです。まず二人でやるということが僕たちの頭にないから。ひとりでやるものだと思っていたからね。世間の人たちが勘違いしているのはそこなんですよ。二人で兄弟っていうと、小さいときから一緒にやっているというイメージがあるみたいだけど、そこからまず違う。だから『ひとりでやりたい』って言うと、『ワガママだ』って世の中の人は言うんだけど、いやそうじゃない、人生は一回しかないんだし、たまたま二人で出て、皆さんに知られたけど、お互いに違うってことなんですよ。それで、久仁彦さんがたまたま『平尾昌晃音楽学校』に通っていたので、僕も行こうかなと思って行ったわけ」

-久仁彦さんは同じところに通うことに関して何か言いました?-
「同じ日に行くわけじゃないからね。最初は田舎者だから、平尾昌晃先生が教えてくれると思って行ったんだけど、よく考えたら有り得ないよね。何百人も生徒がいるし、先生も何十人もいるんだけど、たまたま久仁彦さんと僕の先生が一緒だったんですよ。それで、その先生が1年くらい経ったときに、平尾先生のところを辞めることになったので、僕たちも付いていったわけですよ。そこがまず、『狩人』のスタートですね。平尾先生のところを辞めてなかったら、デビューしてたかどうかもわからないし、『狩人』はまず生まれてなかったんじゃないかな」

◆実は「みつばち君」だったかも?「狩人」名付け親は都倉俊一

-それで先生に付いて行ってからは?-
「レッスン代がちょっと高かったんですよ。ひとり2万円だったから、二人で4万円。それで久仁彦さんが『辞めたい』って言いに行ったらしいんですよ。後で聞いたんだけどね。その時に先生が『お前ら兄弟だから、一緒に来れば良いじゃないか。そしたらレッスン代はひとり分で良いから』って言ったんだって」

-42、3年前で2万円のレッスン代というのは結構高いですね-
「そのときはバイトしてたけど時給370円~380円だったんですよ。だから月に4万円くらいかな。レッスン代で半分取られちゃう。家賃は2万円くらいだったかな。久仁彦さんと一緒に住んでたんだけど、ほとんど財布にお金がないわけ。レッスンしたからと言って歌がうまくなるわけじゃないけど、デビューするためのきっかけが欲しくて僕たちは行ってたんですよ。

そしたら、たまたま先生がレコード会社のオーディションに連れて行ってくれて、そのときに初めて久仁彦さんと二人で歌ったんですよ。それまでは二人で歌ったことも、音を合わせたこともなかったからね。それがとっかかり。お金がなかったから、『狩人』が誕生したというのは間違いないですね(笑)」

-二人ともソロでやりたかったのに、二人で組むことになったときはどうでした?-
「嫌でしたよ。嫌でしたけど、世界に行くんだったら、二人のほうが絶対に良いなというのは、それは自信があった。日本でだったらひとりでもやれる自信があったけど、世界に展開するのなら、二人だったら絶対に行けるよなって。世界を見据えてたんですよ、41年前には」

-それで、デビューは-
「オーディションに連れて行ってもらったときに、先生が作ったオリジナル曲をギターで弾いて歌ったんだけど、そのときにディレクターが、当時のはやっていた曲を歌ってくれって言ったんですよ。42年前だからカラオケのない時代で、7曲ぐらい出されたんだけど、それをその場で即座にハーモニー付けて歌ったわけ」

-7曲全部ですか-
「そう。7曲全部。歌はよく知っていたからね、僕たちは。そのとき、久仁彦さんも誰に習ったわけででもないんだけど、ハーモニーを付けるっていう、生まれつきのセンスだね、あの人音楽センスはすごいから。それで、『さよならをするために』(ビリーバンバン)とか、『亜麻色の髪の乙女』(ヴィレッジシンガーズ)とか色んな曲を出されたんだけど、その中の『私鉄沿線』(野口五郎)を歌ったのが、都倉俊一先生の耳にとまったわけ。そのときは『加藤兄弟』って言われてたんだけど、都倉先生が『加藤兄弟の曲を俺に書かせてくれ』って言ったらしいの」

-それで出来上がった曲が「あずさ2号」ですか-
「それから3ヶ月ぐらいで、もうデビューしてましたね。6月にオーディションを受けて、8月の終わりには都倉先生に会って、9月にはもう曲ができていたから。そこからはとんとん拍子でしたね」

-「狩人」というグループ名も都倉さんが付けて下さったそうですね-
「そうです。『加藤兄弟』とか『みつばち君』とか『あかね雲』とか、グル-プ名の候補は色々あったんだけどね。(笑) 当時も今もあまり漢字名ってないからさ、いかつい感じはするんだけど、横文字にするよりは『狩人』で良かったと思いますよ」

◆秀逸なものまねが話題に

デビュ-当時から歌のうまさには定評がある高道さん。西郷輝彦、チャゲ&飛鳥、近藤真彦など数々のものまねに挑戦。ものまねバトル番組でも話題を集めている。

-ものまね番組でイメージが大きく変わりました-
「ものまねは役者じゃないけど演じるわけじゃないですか。そういう意味では面白い。やっていて楽しいよね。2時間歌って聴かせるのも良いけど、やっぱり楽しませたいというのがある。エンタテイナーになりたいというのがあるので。そういう意味で自分も楽しめるから、ソロの活動ではよくやってますよ。久仁彦さんはちょっと考え方が僕とは違って、あまりそういうのが好きじゃないんだよね。楽しませりゃいいというのは客にこびているという感覚だからね、あの人は。ものまねとか好きじゃないの。だから『狩人』のときはあまりやらないけど、営業ではほとんどの場合、やっぱりものまねをやってくれっていう要望が強いですよ」

-レパートリーが広いですね-
「まあ。そうですね。テレビではデビュー当時、ものまねの番組があったから、久仁彦さんも出てたしね。二人とも出てましたけど、本格的にやり出したのはソロ活動をし始めてからだから、この25年くらいかな」

-みんなビックリしたでしょう?-
「そうだね。やっぱりリアルタイムで『あずさ2号』を知っている人たちは、突っ立ってしか歌えないと思っているからね。『急におかしくなっちゃったの?』なんて言われましたよ(笑)」

デビュー当時、17歳とは思えないほど大人っぽかった高道さん。タイムリーで見ていた世代だけに、カッコ良く年齢を重ねている姿にうれしくなる。次回後編では「T4」や「タカとロザンナ」の活動も紹介。(津島令子)

★高道 ニューアルバム「…逢いたい…」(2018/3/31発売)
製造元:株式会社夢グループ/夢レコード 値段:税込価格¥3,000(定価¥2,778)
2年ぶりのニューアルバム。新曲、セルフカバー、聴き応えたっぷりの一枚。

★「夢のスター歌謡祭」<狩人出演>
https://yumeconcert.com/concert/yumestar

チケットのお問い合わせ・お申込み/夢グループ℡0570-666-443(8:00~18:00)
4/6(金)福島県   いわき芸術文化交流館 アリオス   14:00/18:30
4/10(火)奈良県  奈良県橿原文化会館   14:00/18:00
4/11(水)大阪府  大阪国際交流センター   14:00/18:30
4/12(木)大阪府  岸和田市立浪切ホール   14:00/18:30
4/19(木)宮崎県  宮崎市民文化ホール  15:00/(昼のみ)
4/20(金)宮崎県  都城市総合文化ホール 大ホール  14:00/18:30
4/21(土)宮崎県  延岡総合文化センター 14:00/18:30

●出演者
加橋かつみ、おりも政夫、ロザンナ、ビリーバンバン、平浩二、チェリッシュ、葛城ユキ、狩人、桑江知子、石井明美、保科有里、ZERO
※狩人以外の出演者は、会場によって異なります。

はてブ
LINE
おすすめ記事RECOMMEND