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水木一郎、“アニソン歌手”の苦悩を振り返る「拡声器で歌わされたことも…」

“名刺代わり”というほど代表的な『マジンガーZ』をはじめ、『仮面ライダーX』、『鋼鉄ジーグ』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』など、数多くのアニメ、特撮作品の主題歌、挿入歌を歌い、“アニメソングの帝王”として知られる水木一郎さん。

10代のときからステージに立ち、20歳で歌謡曲の歌手としてレコードデビューしたものの、なかなか売れず苦労したという。

(17歳)

◆水木一郎、“ザ・ドリフターズ”に入りたかった?

-10代のときからステージに出られていたら、スカウトされたのでは?-
「それはありましたよ。ジャズ喫茶のオーディションで優勝したのをきっかけに、数々のステージを踏むようになると、いろいろ声もかけられました。大手の事務所にも誘われましたけど、なかなか折り合いがつかず、レコードデビューには至りませんでした」

-オーディションで優勝したというのは?-
「それは16歳のときのことでした。ジャズ喫茶という、今でいうライブハウスのような場所が当時はあって、ラ・セーヌというジャズ喫茶のオーディションを受けて優勝したんです。

アメリカンポップスやスタンダードジャズが好きだった僕は、中学生の頃からジャズ喫茶に入り浸っていたんですね。そこで“ザ・ドリフターズ”のメンバーとも顔なじみになったんです。“ザ・ドリフターズ”がバンドとして全盛の時代。いかりや長介さんをリーダーにテレビでコントをやって売れ始めたときのメンバーじゃなくて、その前の桜井輝夫さんがリーダーだったときね。付き人みたいなことをしながら歌の練習をしていたら、桜井さんに『お前は和製フランク・シナトラになれ。ラ・セーヌのオーディションがあるから受けてみないか』って勧められたんですよ。それで、『僕のマシュマロちゃん』というアメリカンポップスを歌ったらグランプリを取っちゃった」

-16歳でもう注目の存在に-
「そのときの模様はラジオでも流れました。当時はジャズ喫茶を登竜門に誕生した大スターがたくさんいたんですよ」

-“ザ・ドリフターズ”とはどれぐらいの期間一緒に?-
「1年ぐらいかな。17歳のときにはもう作曲家の和田香苗先生の門下生になっていたし、弘田三枝子さんの前歌をやったりしていましたから。短い間ではあったけど、“ザ・ドリフターズ”には誘われなかったなあ(笑)歌も笑いもいけるのに(笑)」

-見た目が整いすぎているからじゃないですか-
「そんなことないでしょ。若いときの加藤茶さんだってきれいじゃないですか?いかりや長介さんがベース、小野ヤスシさんがギター、加藤茶さんはドラムでしたね。お笑いのセンスもバンドとしての腕前も一流でしたよ。まだ志村けんさんがメンバーになる前のことです。僕が代わりに入ってたらどうなってたかな(笑)冗談だけど」

※『8時だョ!全員集合』などで知られる「ザ・ドリフターズ」だが、「クレージーキャッツ」の後輩で、結成当時から約4年間は音楽バンドとして活動。1966年にはビートルズ日本公演の前座をつとめた。

(歌謡曲デビュー時)

初めてのレコーディングは17歳で『シェナンドー』という海外のテレビ映画の日本版主題歌だったが、非売品のソノシートだったため、正式なレコードデビューは二十歳のときの『君にささげる僕の歌』(1968)。だが、数年間、歌謡界に身を置くが、自分のやりたかった音楽とは違うという思いはずっとあったという。

◆デビュー前にファンからプレゼントの山

-ジャズ喫茶で歌っているときはどうでした?-
「今では想像がつかないかもしれないけど、当時は可愛い顔をしていたから、レコードデビューもしてないのに出待ちは大勢いるし、洋服を買ってくれたりとか、そんなファンも多かったですね」

-アイドルみたいですね。そのことで何か変化はありました?-
「いや、それよりこの世界、実力をつけなければ勝てないという思いのほうが強かったですから。ジャズ喫茶で大好きなアメリカンポップスを歌っている頃は、思うように歌が歌えて楽しかったです。でも、それだけではプロは務まらないんですよね」

-顔が良くて歌がうまくても…ですか-
「僕がレコードデビューした頃は、森進一さん、青江三奈さん…そういう個性が強い人たちが活躍していて、ただきれいに歌えるだけでは売れない時代だったんです。喉を潰してハスキーな声を作ろうかと真剣に考えたこともありました」

(アニソンデビュー後)

◆念願のレコードデビューはしたけれど…

-二十歳でレコードデビュー-
「『君にささげる僕の歌』というカンツォーネ風ですごくいい歌なんですけど、地味だから売れなかった。シングルを5枚出してもらったけど、どれも売れませんでしたね。

その当時は、にしきのあきら君(現・錦野旦)とか野村真樹君(現・野村将希)が、僕の一年ぐらい後にデビューして大喝采を浴びていて、各社合同の新人サイン会とかがあると、いつも寂しい思いをしていたんですよ(笑)僕のところには誰も並ばないし、そういうキャンペーンも嫌だったから、歌謡曲は向いてないなあって」

-キャンペーンはかなりきつかったですか-
「テレビ局に売り込みに行って、渡したレコードをその場でゴミ箱に投げられたのはよく覚えているね。あとお酒の席で『ビールつがなきゃ買うかよ、バカ野郎』なんて言われたり、からまれたり…色々ありましたね」

-誰よりも練習してきたし、うまいという自信もあったわけですからね-
「そうそう。ジャズ喫茶のステージでは自由に歌うことができたしね。憧れている海外の歌手の歌をカバーして、自分も歌手という夢を売る仕事をしているんだという気持ちが持てた。それが、歌謡曲はどう歌ったら正解なのかわからず、暗中模索していました。

キャンペーンでビールをお酌して回って歌を聞いてもらう、買ってもらう、そういうのもすごく嫌で。そして世間の冷たさですよね。売れない歌手に対する世間の冷たさ。それで一度、歌謡界から身を引いたんです。そんなとき、アニメソングの話が舞い降りてきたんです。嬉しかったですね。レコード会社のディレクターには『ジャケットに顔も出ないけど、いいかい?』と念を押されましたけど、そんなことは気になりませんでした。もともと映画音楽を歌いたいという気持ちもありましたから、スクリーンとブラウン管で画面のサイズは違っても主題歌には変わりはないだろうと思いました」

-アニメの一曲目が『原始少年リュウ』だったというのもあるでしょうね-
「良い歌でしたからね。後にアニソン界の同志となる堀江美都子がまだ幼いころ、僕の先生の歌をレコーディングするために来ていて、僕が彼女の歌う歌を覚えて、本人の前で『こうやって歌うんだよ』ってお手本で歌ったことがあったんです。それをディレクターが覚えていて、声がかかったんです。『原始少年リュウ』はエンディングが堀江美都子、オープニングが僕でした」

-アニメの歌を歌ってみていかがでした?-
「僕や堀江美都子はアニメの主題歌を専門に歌うソロ歌手のはしりでした。それ以前は児童合唱団やコーラスグループが多かったんです。ソロ歌手が歌うことがあっても、このジャンルを続けていこうという人はいなかったんですよ。偶然の出会いではありましたが、アニメソングはまさに僕が求め、僕に求められているジャンルだと感じました。『原始少年リュウ』の後、『変身忍者 嵐』『超人バロム・1』といった特撮作品の主題歌も立て続けに担当することになりました。いろいろなヒーローを演じることができるのは少年の頃から想像好きな僕にはとても楽しいことだったし、これまで体に覚えこませたさまざまな歌唱法を作品によって歌い分けることができる。これまでやってきたことは無駄ではなかったと思いました」

◆「マジンガーZ」との出会いが大きな転機に

-アニメに転向されて4年間で150曲のテーマ曲を発表、600万枚の売り上げということですから驚異的ですよね-
「絶え間なくレコーディングしているのが楽しかったですね。デビューしてから半世紀。今では持ち歌も1200曲以上になりました。

でも、その当時は、こんな日が来るなんて誰も想像できなかった。何十万枚も売れていてもアニメソングはカウントが別でヒットチャートにはランキングされなかったし、レコード店でも全然目立たないところに置かれたりしていたからね。子ども向けということで低く見られていたんでしょう。『あなた、歌うまいんだから、大人の歌を歌えばいいのに』と言われたこともありました。

本当は子どものためのものだからこそ、心に響く歌詞に忘れられないメロディ、斬新で豪華なアレンジで作られているものなのにね。イベントでは、マイクの代わりに拡声器で歌わされたり、大変なこともありましたけど、いつも目の前には小さな子どもたちが目を輝かせて待っていてくれたんです。その顔を見たら、どんな苦労も乗り越えられますよ」

-今はもうアニメがものすごい存在になっていますが-
「今はアニメはもちろん、アニメソングも日本が世界に誇る文化として認められるようになってきたからね。ここまで来るのにずいぶんかかりましたよ。僕たちの前に道はないから、切り拓いていくしかなかった。今のようにアニメソング歌手を目指す人も多くないし、孤独でしたね。でも、こうして続けてきたおかげで、アニメソングが世間に認められるようになってきた。努力した甲斐があったと思いますね」

アニソン界のレジェンドでありながらちゃめっ気もタップリ。次回後編では驚きの海外公演の舞台裏、“アニソン登山部”も紹介。(津島令子)

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