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菅田俊が語る、“父子”のような時間を過ごした菅原文太の最後の言葉とは?

『キル・ビルVol.1』、『ラスト サムライ』など巨匠の大作映画にも次々と起用される国際派俳優でもある菅田俊。映画やドラマではヤクザ、刑事などコワモテで凄味ある役柄を演じることが多いが、実はプライベートでも映画さながらの事件解決をしていた。

◆菅田俊、ひったくり犯“逮捕”!直後にスピード違反で…

-2005年の年末には、ひったくり犯を捕まえたことがニュースでも話題になりましたね-
「はい。その日の朝に占いを見たら、運勢が一番悪い日だったんです。それでバイクに乗っていて池袋で一方通行を逆に入ったということで捕まったんですね。やっぱり占い通りに最悪な日だなと思ったんですよ。そのあと、今度は自転車に乗って家に帰る途中、池袋で『ひったくりだ』って声がして、ひったくり犯が逃げて行ったんです。それで『ああ、巻き込まれないようにしよう』と思ったんですよ。絶対に悪い日だから、これは危ないと思って。(笑)

それで、サッサと行こうとしたら、路地に走る影が見えたんです。そしたらもうしょうがないじゃないですか。自転車置いて回り込んだら犯人と出くわしちゃったんです。フードをかぶっている犯人と鉢合わせになって、ガタイが良い人だったんですけど、手もとを見たらナイフとか持ってないんで大丈夫だなと思って(笑)。組み合っておさえ込んだらしばらくしておまわりさんが来て、『確保』みたいなことを色々言ってるんですけど、早く交代してくれよって感じで(笑)」

-その犯人も目の前に菅田さんがいてビックリしたでしょうね-
「向こうも必死だったんでしょうね。フードを取ったら白髪で50代後半だったみたいですけど、すごい力でしたよ」

-映画の1シーンみたいですね-
「そのひったくり犯が前科10何犯で指名手配されていたので、目白警察署としては本当に捕まえたがっていたみたいなんですよ。それで目白警察署のポイントが上がったもんですから表彰状をいただいたんですが、次の週にアクアラインで覆面に捕まっちゃって。そのときに『僕もひったくり犯を捕まえたんですけど…』という話をしてみたんですが、『ああそうですか。ご苦労さまです』って言われただけで、さすがに許してはくれなかったですね(笑)」

-その表彰状は飾ってあるんですか-
「いえ、うちに飾ってあるのは健さんのサインとジャンパーですね。(笑)菅原(文太のサインは1枚も持ってないんですけど」

◆菅原文太「あっという間だな、人生なんて」…

名優・菅原文太さんに弟子入りし俳優デビュー。芸名も菅原文太さんから一字もらったもの。付き人として24時間一緒に“父子”のような時間を過ごした。一度は破門されたものの、3年後に解かれ、親しいつきあいを続けていたという。その菅原文太さんが2014年11月28日に81歳で亡くなる。

-最後に文太さんと直接会ってお話されたのは?-
「夏頃でした。千駄ヶ谷にマンションがあったんですけど、オヤジがそこの荷物を全部片付けるからって言うので、何でだろうなとは思っていたんですけど…。

だから、その時にはもう自分でわかっていたんでしょうね」

-ご本人のなかではもう終活という-
「もうわかっていたんでしょうね。それで荷物を全部八ヶ岳の高原のほうに、農場のほうに運んで、それから3、4ヵ月後に亡くなったので…。

何か嫌な予感がして、農場に電話したら『実は今朝がた…』という話になって」

-亡くなったその日ですか-
「たまたま、僕は何かオヤジのことが気になって、電話したんですね。そしたら、そういうことになっていて…。

奥さんがその後、亡くなるときの話をしてくれたんですけど、本当に、良い死に方というのも何ですけど。最後は手でバツをして静かに亡くなっていったと言って。それを聞いたらもう…。最後はもうモルヒネも使わなかったそうですし、すごいなあと思います」

-亡くなる4週間前には沖縄県知事選で演説もされていましたね-
「具合が悪いなかで頼まれて、僕のところに電話がかかってきたんですよ。『誰か若い奴を付けてくれないか』って。僕が付こうかと思ったんですけど、仕事が入っていたものですから付けなくて…。それがあの沖縄の最後の演説だったんです。『仁義なき戦い』の『弾(たま)はまだ一発残っとるがよ』というセリフを言った。あのときはもう相当からだが悪かったんです。だから、仕事がなければ僕が付いて行ったんですけど…」

-文太さんの色々な思いを背負ってらっしゃると思いますが…-
「最後にオヤジと話したときに『お前いくつになった?』みたいな話になって、『もう60になりました』って言ったら、オヤジが『あっという間だな、人生なんて』って言ったんです。良いセリフだなと思いましたね」

◆オヤジ(菅原文太)の息子の遺志を実現

菅原文太さんは菅原加織という名前で俳優活動をしていた長男・薫さんを2001年10月24日、下北沢で電車にひかれて亡くすという悲しい経験もしていた。薫さんは菅田さんにとっても可愛い弟のような存在だった。

-薫さんが亡くなった2001年には「劇団東京倶楽部」を結成されましたね-
「死んだ薫が舞台をやっていきたいって言ってたんです。『劇団を作って、舞台をベースにして、役者をやっていきたい』って僕に話していたものですから…」

-まだ31歳でしたね-
「あのとき、ちょうど飛騨高山で薫と一揆の話を撮っていたんですけど、オヤジから『薫に飛騨高山の家のほうに寄るように伝えてくれ』って電話があったんです。それで薫に伝えたら『うん、わかった』って言ったんですけど、そのまま寄らないで東京に戻って来て、その夜に下北沢で亡くなったものですから…。オヤジには『お前があそこで家に無理矢理にでも連れてくれば…』なんて言われましたけど…」

-俳優活動も全面的に応援されていて本当に可愛がっていましたものね-
「そうですね。薫が学校でいじめられていたときには僕と宇梶の2人で学校に乗り込んだということもありました」

-最強ですね。宇梶さんが1人で暴走族と渡り合った話も有名ですが-
「宇梶がヤクザをやっつけちゃってね。それで暴走族とヤクザに囲まれて、日本刀で脅されたんですけど、それでも謝らず…」

-すごいですよね-
「だから知り合った頃に宇梶の部屋に行くと、写真を見せてくれるんですけど、何千人という暴走族のなかでみかん箱みたいな上に立って演説しているんですよ。

それで僕の家に来たときに『アニキの写真も見せて下さい』と言うので、見せたら総会の写真しかないからビックリしちゃって(笑)」

-劇団は薫さんの遺志だったんですね-
「はい。その話をオヤジとして、追悼を兼ねて舞台をやったんです。薫がやりたがっていた山本周五郎の『深川安楽亭』というのを一発目に。そしてオヤジと七回忌まではやろうということを言ってたんですけど、そのあとも若い連中がみんな続けたいって言うので」

-年に一回の公演も続けているのがすごいですね-
「そうですね。去年はオヤジの追悼を兼ねて同じものをやりました」

©2017「ホペイロの憂鬱」製作委員会/フィルム・クラフト

◆菅田俊、初主役は仮面ライダー!台本13冊抱える売れっ子に

-菅田さんが初めてテレビで主役を演じたのが仮面ライダーになるんですよね-
「そうです。正月(1982年)の特番でたった一回しかやってなかったんですけどね。一回しかやってないからこそ価値があるなんて言われましたけど…(笑)」

-映画、テレビ、オリジナルビデオなどすごい本数をやってらっしゃいますが、常に台本が何冊もあるという状態ですか-
「昔は大杉漣さんが台本を10冊持ってたんですよね。それですごいなあと思ってたんですけど、一時僕が13冊持っていて大杉さんを抜かしたときがあって。(笑)オリジナルビデオとかの全盛時代だったですね」

-オリジナルビデオが少なくなったとはいえ、今も出演作のシリーズが続いていますね-
「もうずっとオリジナルビデオはやってなかったんですけど、2年ぐらい前に小沢のお兄ちゃん(小沢仁志)が『裏社会の男たち』というオリジナルビデオの話を持って来てくれたんです。それでそれに出てから、ちょっとオリジナルビデオを変えてやろうみたいな気になって」

-プロデューサーもされていますね-
「自分でやらないことにはなかなか動かないものですから。ノワール的な映画を撮っていきたいと思っているんですけどね」

-今、映画『ビジランテ』が公開中ですね-
「入江君(監督)に『ちょっと出てくれ』と言われて、本当にちょっとなんですけどね」

-でも、すごいインパクトのある役でした-
「そうなんですよね。ひどい男で…。(笑)子どもに手をあげて傷跡が残るほど地面に顔を押しつけたり、撮影とはいえ、子どもにあそこまでするのはきつかったです。真冬の12月に海に入っていたので、寒かったですし、子どもたちがかわいそうでしたね、本当に」

-そして1月13日(土)には映画『ホペイロの憂鬱』と公開作が続きますね-
「自分がサッカーをやっていたものですから、大杉漣さんと20何年前に『イワシクラブ』というサッカーチームを作って、いまだにロングコートにこだわって、大杉さんもやっているもんですから、選手で使って欲しかったですね。(笑)まあ、年齢的に難しいですけど」

-“ホペイロ”というのはサッカーの用具係のことなんですね-
「そうなんです。ポルトガル語で」

-菅田さんはチームの社長役でしたが、いかがでした?-
「なかなか思うようにはできない雇われ社長で…。できれば監督さんをやらせて欲しかったかな(笑)」

-キャストは若い方々が多かったですね-
「そうですね。でも主役の白石(隼也)君とはドラマを何本か一緒にやっています。それに彼は仮面ライダー(ウィザード)ですから、自分が先輩ライダー(ZX)ですし(笑)」

-これからのご予定は?-
「毎年1本、外国の作品をやっているので、来年も海外の作品が出来れば良いなあと思っています。あと薫の思いもあるので、「劇団東京倶楽部」の舞台を毎年、1回か2回ぐらいは続けていきたいですね。

そしてオヤジが最後に色々やろうとした10年間の、何かこの国のためにというメッセージも織り込んでいきたいと思っています。この間の舞台も原発をベースに入れての話だったんです。演劇という形で菅原がやり残したことみたいなものを少しでも継承できればなあと思います」

義理と人情に厚く真っ直ぐな性格はまさに武士そのもの。日本男児としての誇りと力強さ、昭和のダンディズムを感じさせる。日本国内だけでなく海外からも注目を集め、さまざまな役柄に挑戦を続ける菅田。

YouTubeで公開中の短編作品『座頭市VSプレデター』では座頭市に扮して迫力のアクションも披露。2018年も日韓合作映画『蝶の眠り』、映画『オボの声』、瀬々敬久監督最新作『菊とギロチン』等公開作が控えている。(津島令子)

© 2017「ビジランテ」製作委員会

※『ビジランテ』テアトル新宿ほか絶賛公開中。

横暴な父親(菅田俊)の死をきっかけに、幼い頃に失踪した長男(大森南朋)、市議会議員の次男(鈴木浩介)、デリヘル業雇われ店長の三男(桐谷健太)が再会。遺産などをめぐり、三兄弟が運命を狂わせていく…。

© 2017「ホペイロの憂鬱」製作委員会/フィルム・クラフト

※『ホペイロの憂鬱』1月13日(土)より角川シネマ新宿他全国順次公開。
弱小プロサッカーチーム「ビッグカイト相模原」のホペイロ(用具係)・坂上(白石隼也)は、選手のスパイクやボールなどの管理に加え、問題が起きるたびにその処理に追われながらもチームのJ2昇格のために奮闘するが…。

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