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せんだみつお、「助け合う気持ちが足りない」現代社会に警鐘鳴らす

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

11月4日(土)に放送される同番組に、タレントでコメディアンのせんだみつおが登場。デビューから48年、どん底を経験しながらも今もなお積極的に芸能活動を続けるそのパワーの源に迫る。

©BS朝日

◆ビリー・バンバン菅原進との出会い

せんだは、1947年に樺太・真岡で生まれる。終戦直後の混乱期に誕生したのは、「次の戦争で兵隊さんが足りなくなると困る」という両親の思いからだった。

高校在学中、のちのビリー・バンバンとして活躍する菅原進と知り合い、ともに音楽学校に通う。実はせんだも、ビリー・バンバンの初期メンバーとして打楽器のコンガを担当していた。

しかし1969年、ビリー・バンバンのデビューが決定すると、レコード会社の意向で脱退することに。当時の心境、ビリー・バンバンとの交友について赤裸々に語る。

 

◆司会に抜てきされブレーク

1969年、22歳の時、ラジオ『ワゴンでデート』でDJデビュー。1972年には『ぎんざNOW!』の司会に抜てきされブレークを果たした。番組には竹中直人、小堺一機、矢沢永吉など、後のスターも出演していた。

翌年には和田アキ子と司会を組んだバラエティー番組『うわさのチャンネル!!』に出演し、人気は不動のものとなった。人気絶頂だった当時の心境とは? そして、後にスターとなる著名人たちとの交友録とは?

 

◆漫才ブーム到来で仕事激減

1978年、10本以上のレギュラー番組を抱えていたせんだは、体調不良で入院を余儀なくされた。4カ月間入院し穴をあけたことで、徐々に仕事は減っていく。仕事が無くなる焦りと不安の日々…。さらに追い打ちをかけるように、80年代には漫才ブームが到来する。

ツービートやB&Bらに人気を奪われ、レギュラー番組はとうとうなくなってしまった。自身の芸風と漫才ブームで開花した芸人たちとの違いとは? さらに、ビートたけしとの交流秘話、「コマネチ」「ナハナハ」の誕生裏話を語る。

 

◆原動力は「人を笑わせたい」という思い

再び芸能界によみがえるため改名し、楽曲発表などさまざまなことにチャレンジしてきたせんだ。売れっ子芸人に「コンビを組もう」と声を掛けたこともあったという。

前向きに活動し続けるのは、「人を笑わせたい」という思いがあるから。「挑戦しては失敗」を繰り返してきた人生。そこから得た、せんだにしか語れない爆笑エピソードとは?

今年古希を迎えたせんだには、同じ団塊世代と若者たちに伝えたいことがあるという。それは、どんな仕事でもありがたくやるという気持ち。絶頂とどん底を経験したせんだだからこそ語れるエールとは?

また、他人を敬い、助け合う気持ちが足りない現代社会にも警鐘を鳴らす。

インタビュアーは、タレント・エッセイストの小島慶子。同番組で幾度もインタビュアーを務めてきた小島だが、今回彼女の口から初めて「また新しい話が始まるんですか…」という言葉が放たれた。それほどまでにパワフルな人間・せんだみつおの魅力とは?

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2017年11月4日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日

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