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名曲『戦争を知らない子供たち』を歌い続ける理由。過去には「帰れ」と罵倒も

7月1日(土)に放送されるBS朝日の番組『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』に、フォークシンガー・杉田二郎が登場する。

©BS朝日

1968年のデビューから約半世紀、歌い繋がれる『戦争を知らない子供たち』は、発売当初30万枚のヒットを記録するが、「戦争を侮辱するな」と罵倒されたこともあった。それでも彼がこの曲を歌い続けてきた理由、同曲で伝えたい本当の思いとは? 杉田二郎の素顔と、その魅力に迫る。

 

◆若くして亡くなった元メンバーへの思い

終戦の翌年の1946年に京都で生まれ、幼少時代は音楽にはまるで興味がなかったという杉田。そんな彼が音楽と出会ったのは高校2年生のときだった。

文化祭で歌を披露するためアメリカフォークソング『風に吹かれて』などを英語で練習する友人に衝撃を受けた。そして、音楽を通して新しい仲間と交流できることに音楽の力を感じたという。

大学入学後にアマチュアグループ「ジローズ」を結成、コンサートでアメリカフォークソングのコピー演奏。そして、「帰ってきたヨッパライ」や「イムジン河」など、オリジナル曲を制作する「ザ・フォーク・クルセダーズ」に触発され曲作りにのめり込んでいく。

1968年『あなただけに』でデビューをはたすが、このときアマチュア「ジローズ」は解散。杉田は、はしだのりひこ、井上博、おちゆうじとともに、「はしだのりひことシューベルツ」を結成した。

しかし、結成からわずか1年、メンバーの井上博が病死し、解散することに。若くして亡くなった井上への思いを杉田が明かすほか、グループのデビュー曲『風』を熱唱。歌い終わってから杉田が語ったメッセージとは…?

 

◆『戦争を知らない子供たち』の秘話

1970年、大阪万博のアマチュアコンサート用に作曲したのが、北山修と共作した『戦争を知らない子供たち』。初めてこの歌詞を読んだときの気持ちや作曲の秘話も明かす。

そして、1971年に『戦争を知らない子供たち』を世に送り出すと大ヒットを記録。しかし、戦争をテーマにした楽曲には賛否両論があった。コンサートでは応援してくれる人もいれば、「戦死者を侮辱するな」「帰れ」と罵倒を浴びることも。しかし、杉田は悩みながらも歌い続けたという。当時の杉田の思いとは?

そんな杉田には忘れられないコンサートがある。それは沖縄返還から3年経った1975年、沖縄でのコンサートだ。罵倒されるかもしれない…という恐怖のなかで、アンコールで歌った『戦争を知らない子供たち』。杉田が目にしたのは歓声と大合唱だった。当時の光景を涙ながらに語る。

今年、デビュー50周年を迎えた杉田。50周年コンサートでは堀内孝雄、イルカ、森山良子など、17組の豪華ゲストがお祝いに駆けつけた。

「みんなと一緒に歌う」ことが楽しいという杉田が、親交の深いアーティストとの交流や思い出、コンサートでの爆笑エピソードを語る。

※番組情報:ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2017年7月1日(土)午後6:00~午後6:54、BS朝日

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