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鬼才・山本晋也に小島慶子が迫る!監督の「映画作りの原点」「現在の目標」とは?

手に汗握る対談の様子をライブ感あふれるドキュメンタリーとして映像化した新感覚のインタビュー番組『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』

©BS朝日

4月2日(日)にBS朝日にて放送される同番組では、映画監督・山本晋也にタレントでエッセイストの小島慶子がインタビューをおこない、“奇才”と称される山本の「映画作りの原点」や、77歳となった今も精力的に活動を続けるその「パワーの源」に迫る。

終戦の翌年に新制小学校に入学した山本。当時、町にはこれまで見たことがないアメリカ文化が流れ込み、なかでも駐留米軍のために上映されていた映画に強い憧れを抱いたという。そんな山本は、早稲田中学・高校では映画部の部長を務め“映画漬け”の日々を送っていた。

日本大学芸術学部演劇学科に進学すると、映画やテレビの撮影現場でアルバイトを始め、助監督として経験を積んでいく。1964年の東京オリンピックでは、巨匠・市川崑監督がメガホンをとった記録映画に撮影助手として参加。このとき山本が自らファインダーをのぞいて撮影した映像が本編にも使用されているそうだ。

当時、日本映画界の大手5社の集客力が低下する一方で、低予算で製作可能なピンク映画や独立プロによる映画が躍進していた。山本はその時流に乗り、1965年に成人映画『狂い咲き』を監督。25歳という当時最年少で監督デビューを果たす

ポルノにコメディーの要素を持ち込んだ独自の作風で約250本もの映画を手がけた山本。彼の創意工夫を凝らした映画作りの現場からは、のちの日本映画界をけん引する監督たちが数多く巣立っていった。映画『おくりびと』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督も、山本組で助監督を務めたひとり。滝田監督は、“体で覚えた映画づくり”が今の自分を支えていると当時を振り返る。

そんな山本の奇才ぶりが発揮されたのは、1979年に公開された『下落合焼き鳥ムービー』。山本が初めて一般映画の監督を務めた同作では、漫画家・赤塚不二夫を中心とした「面白グループ」が企画と脚本を担当し、所ジョージ、坂崎幸之助、タモリ、柄本明、佐藤B作、宇崎竜童など、のちにメジャーとなる面々が出演した。

そして山本は、1981年4月からテレビの深夜番組『トゥナイト』に出演。同番組と『トゥナイト2』に出演した21年の間、レポーターとして社会現象や性風俗と真正面から向き合い、人間の計り知れない欲望に目を向けてきた。

その後、山本はお昼の情報番組『ワイド!スクランブル』でも、コメンテーターのみならず、現場に足を運ぶ取材スタイルを貫き通した。

そんな山本の現在の目標は、2020年に人生で2度目となる東京オリンピックを取材すること。その頃は81歳になるという山本。いつまでも尽きることのない彼の好奇心の源とは…?

 

※番組情報 『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』

4月2日(日)午後6:00~午後6:54、BS朝日(※『ヤマハレディースオープン葛城2016』延長の際、番組休止の場合あり)

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